たのしい知識 Le gai savoir

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行為の意味理解における時間性と共同主観性について ──高橋源一郎「死者と生きる未来」の分析を通じて── ③

目次
1. はじめに
2. 高橋源一郎「死者と生きる未来」の分析
2-1. 事例提示と問題提起
2-2. 方法の提示
2-3. 分析
 2-3. (a) 第一のパート
 2-3. (b) 第二のパート
 2-3. (c) 第三のパート
3. 終わりに
3−1. 行為の意味理解、それは役割関係の再演によって意味がダイナミックに産出される、共同主観的なプロセスである
3−2. 分割された三つの部分の、目的への従属関係を判定する
 3−2. (a) 行為の意味理解を不可能なものとする二つの不可能性の水準
 3−2. (b) 時間的に隔たった他者の経験のその理解可能性について
 3−2. (c)まとめ
3−3. 他者の行為の共同主観的な理解モデルの問題点
参考文献
 
分析素材:
高橋源一郎「死者と生きる未来」(2015,ポリタス)
 
 
2−3.(b)第二のパート
次に第二のパートである。このパートにおいて高橋は、数十年もの時間が経過したある日の出来事を描写している。高橋は以下のように述べている。
 
「8年前のことだった。わたしはバスルームで、3歳の長男に歯を磨かせていた。/そのときだった。わたしは異変が起こったことに気づいた。/バスルームの鏡に父が映り、わたしを凝視していたのである。/わたしは、一瞬、恐怖にかられ、叫び出しそうになった。無視し、忘れようとしたわたしを恨んで、父の亡霊が出現したと思ったのだ。だが、すぐにわたしは自分の間違いに気づいた。そこに映っていたのは、父の亡霊などでなくわたしだった。いつの間にか、わたしの容貌は父と酷似していた。そのことに、うかつにも、そのときまで、わたしは気づかなかったのだ」
 
息子と共に居る自らの姿が父の姿と酷似しているという経験によって、「わたし」は驚きを覚え、「恐怖にかられ、叫び出し」そうになる。このような、ある種の類似経験によって、高橋は過去の体験に対する意味が変容する瞬間を記述している。つまり高橋はここで、行為の意味理解が、そのような体験に類似した経験を行うことを通じて遡及的に見出されるという、シュッツの行為の意味理解と類似した理解のプロセスを記述している。たとえば以下の引用は、そのような決定的な瞬間を記述した箇所である。父との類似に戸惑う「わたし」は以下のようにその意味が変容する過程について述べている。
 
「わたしは、その愚かしい間違いに、失笑した。なんてことだ。馬鹿馬鹿しい。/その瞬間、わたしは、それまで一度も体験したことのない不思議な感覚を味わったのである。鏡に映っているのが父だとするなら、その父に歯を磨いてもらっている長男は、わたしではないか。そう感じたとき、体が裂けるほどの痛みがわたしを襲った。ほんとうのところ、それは、痛みではなく悲しみだったが、あまりに突然だったので、痛みに感じられたのだ」
 
上記の引用において重要なのは以下の点である。それは、現在時による過去の出来事の再構成が、ある種の類似に基づく実際の役割関係の再演によって可能となり、そして、そこでは、他者という本来であれば自らとは隔たった存在に対する、ある種の擬似的な没入ないし移入のような心的過程が生じるという点である。つまり、「父」と「わたし」とのあいだの過去の関係は、「わたし」と「息子」とのあいだの現在との関係において、全く反転した役割関係として演じ直されることを通じて、その意味が理解可能となる。つまり、「私」は実際に父として「息子」の前で振る舞うということを通じて、現に「(その時点での)わたし」が「息子」を「なによりもいとおしく思っている」のと同じように、「父」もまた「わたし」を「なによりもいとおしく思ってい」たのではないかという仮定が生じ、その仮定が、過去の他者が行った行為の意味理解を可能としているのである。
そうした仮定から、「極貧の生活をしていた」とき、実は、「おかしが食べたい」と言った「わたし」に対して、「父」が「何時間もかけてリンゴを鍋で煮ていた」こと、また「夜中に発熱したわたし」を「父」は「かついで30分以上かかる医者のところに運んでくれた」ことなどの記憶が思い出される。それにより、高橋は、当時においては全く存在すらしなかった父の行為の意味が、そのような記憶のうちで新たなものとして理解され、情動的な追想を伴ってありありと経験されるプロセスを描いている。つまり、高橋は当該箇所において、旧来では想起され得なかった過去の出来事を、現在時における役割関係の再演を通じて、新たな行為の意味理解を伴って経験され直す過程を記述していると考えられる。
 
2-3.(c)第三のパート
こうした自己史を再構成によって、高橋は第三のパート、すなわち、かつての戦争体験を現代の我々はどのように引き受ければよいのかを述べるパートを記述している。
しかし、この第三のパートには、これまでの記述が有していた目的に対する諸機能と明確に対応しない、ある問題点が存在する。より端的に言うならば、第三のパートの記述には、これまでのパートから抽出された行為の意味理解のパターンとは矛盾する主張を含まれている。本項では、その当該箇所を明示し、その問題点ないし矛盾点を指摘する。その不整合な主張を含む問題の箇所とは、以下の箇所である。2−3.(b)で最後に引用した文章の直後に、高橋は以下のように述べている。
 
「そのときから、わたしと過去の関係は変わったように思う。/わたしは、ずっと、過去というものを、「死んだ」もの、「終わった」ものだ、と思っていた。[…]〔しかし〕そうではなかった。「過去」は死んではいなかったのである。/わたしたちが生きる、この現在は、過去が生み出したものだ。遥か、視線を上げると、わたしたちの周りにあるもので、過去と無関係なものは一つもないのである。一つのコップ、一枚の紙ですら、かつて誰かが、もうこの世には存在しない誰かが、全力で作り上げようとしたものの果てに生まれたものなのだ」
 
このような理解のもとで、高橋は戦地のフィリピンで亡くなった伯父の慰霊を行い、「最大の檄戦地となったルソン島・バレテ峠の、北に向って、すなわち遥か日本に向って建てられた慰霊碑の前で、わたしは、長い間、瞼を閉じ、頭を垂れ」ことを通じて、かつてであれば「他人」に他ならない死者への慰霊の儀式を行うという、新たな行為の様式を獲得している。しかし、先ほども述べたように、この記述は「2−2.(b)第二のパート」で抽出された行為理解のパターンとは明確に矛盾している。それは以下のような矛盾である。
 
まず、上記の引用において高橋は、わたしたちを取り囲む「この現在」は「過去」が生み出したものであると述べている。それゆえ、「過去というもの」は「死んだ」ものだと思っていたが、実は「死んでいなかった」と見なされる。そして、その根拠として、高橋は「この現在」が「過去」から生み出されたということ、具体的には、「一つのコップ、一枚の紙」 のような個別具体的なものでさえ、「もうこの世には存在しない誰かが」作り出したものであるという事実を挙げ、そうした事実に訴える仕方で、高橋は他者の行為の理解や、戦争体験の受容や理解の可能性について述べている。いいかえると、このような主張は、他者の行為理解の可能性を以下の仕方で論証している。それは、そうした他者の行為やかつての出来事が、現に存在する事物に対して因果的な効力を事実として持っており、そのことから、そうした過去と現在とのあいだの因果系列の実在性を認めることによって、他者の行為の理解可能性を論証している。
しかし、本稿では、こうした主張を明確な誤りであると見なす。というのも、そうした主張は以下の二つの観点から間違っていると見なすことが出来るからである。その二つの観点とは、第一に、当該記事全体に一貫する主張から内在的に評価する観点であり、第二に、それが論理的な推論として妥当か否かに関して、外在的に評価する観点である。第一の観点から順に見ていこう。
 
まず第一の観点、すなわち当該記事全体との一貫性の観点からの評価である。そもそも、高橋は何故「過去」は「死んでいなかった」見なすことが出来たのか。それは、本稿で設定した区分に基づくならば、2-3(a)と2-3(b)における自己史の再構成によってであった。そこで、高橋は何をどのように述べているのか。それらのパートにおいて、高橋は、あれほど「他人」ごとであった「父」の死や「魂を殺しちゃった」少女の自傷行為の意味が、ある種の役割関係の再演がもたらす気付きによって、遡行的に再構成されたことについて述べている。その役割関係の再演がもたらす気付きとは、バスルームの鏡に写る自ら自身の姿が「父の亡霊」のように「父と酷似していた」ことに気付き、そして、「鏡に映っている」父に酷似した「わたし」の隣にいる「息子」は、実のところ「父」にとって「わたし」の位置に他ならないのではないかと気付くことである。このような気付きによってはじめ、現に「(その時点での)わたし」が「息子」を「なによりもいとおしく思っている」のと同様に、「父」もまた「わたし」を「なによりもいとおしく思ってい」たのではないか、という仮定が生じる。こうした過程を経て、「過去」は「死んでいなかった」という洞察が導出されるのである。少なくとも、高橋自身はそのようにして、自らのテクストにおいて行為の意味理解が変容するプロセスを記述している。
したがって、それは、現に過去と現在とのあいだに因果的な系列を事実として認めることができるといった主張とは全く関係がない。またそもそも、過去と現在とが事実として因果的に結びついているという事実は、むしろ、誰の目にも明らかであるような事実根拠としての「反論のしようのない『正しさ』」に訴えており、そのような訴えは、当該記事において「でも、自分には関係のないことなのに」という思いを喚起するものである、と述べられていたのではないか。上述の観点からの評価にもあるように、当該記事全体の主張との一貫性から評価するならば、少なくとも高橋自身はそうした事実への訴えとは異なる論証をしていると見なせる。
それゆえ、先の「この現実」が現に「過去」から生み出されたという事実に基づく「現代を生きる日本国民は、そうした過去の戦争体験をいかに理解し、受容すべきか」ということに関する結論の導出は、テクストに内在的に評価する限りにおいて誤っている。
 
次に第二の観点、すなわち論理的推論として妥当か否かに関する観点である。まず、もう一度、高橋が何故「少女」や「父」との経験を情緒的に受容出来なかったのか、その根拠を再構成しよう。
2-3(a)で見たように、高橋の記事において、行為の意味理解から切り離された状態とは、そうした行為があくまで「他人」ごととして「わたし」から切り離された状態であった。そうしたとき、少女の自傷行為は、単に「自分には関係のないこと」であり、のみならず、それは「当て付け」のようなものとして見なされていた。あまつさえ、わたしはそこで、自ら「責め」られているというふうにさえ見なしていた。くわえて、「父の死」のような経験もまた、「なんの感慨も浮かんではこな」い経験として「わたし」から切り離されていた。特に「父」との経験において顕著であるように、それは「感情が少しも沸いて」こないような、徹底した情動的な受容が欠落した経験として記述されていた。
では、このような「わたし」から切り離された状態とは、いかなる原因に由来するものであるか。高橋は当該記事においては、他者の行為の意味理解から「わたし」が切り離されていることの根拠として、以下のような根拠を挙げている。すなわち、それは、「少女」や「父」のような存在が、事実として「わたし」とは異なる端的な意味での他者であること、また、「世界の悲惨」や「この国が犯した恐ろしい罪」のような「政治や社会」にまつわる事柄が、事実として、時に時間や空間を共有していないどこかで生じること、この二点より上記の状態が導かれている。つまり、仮に事実に訴えて行為理解の事後的な再構成を導こうとするならば、むしろ、そこで導かれるのは他者の行為理解の不可能性に他ならない。
この点に関してはもう少し詳述が必要だろう。たとえば「このコップ、一枚の紙」が「かつての誰かが」作ったものであるとして、そうした事実は、果たして本当に戦後の70年を振り返り、それが一体どのようなものであったのか、また、現代を生きる日本国民は、そうした過去の戦争体験をいかに理解し、受容すべきか」という問いに対する応答であり得るだろうか。注意すべきは、このような記述において疑問視されているのは、「この現実」が「過去」から生み出されたという事実そのものではないという点である。そうではなく、問題は、そうした事実が、果たして当該記事の目的に適う有効な根拠であるかどうかという点である。つまり、本項の議論は、そうした事実が真の事実であるかどうかを問題としていない。確かに、「この現実」は全て「過去」から生み出されたものである。しかし、逆を言えば、いかなる「現実」であれ、「過去」から生み出されていないものなど、そもそも存在しない。「このコップ」はもちろんのこと、いかなるものが「過去」において何かしらの因果関係のもとで生じたものである。それゆえ、上記のような仮定は、特定の形而上学的な議論を構成する前提として有意味であるが、当該記事が想定するような目的に対しては、根拠として有意味ではなく、むしろ全く無意味な仮定である。
さらに、こうした仮定は、2−2.(a)で見たような、行為の意味理解からの排除を導く、特定の事実への反証としても有意味ではない。というのも、たとえ「このコップ」が「過去」の「誰か」が作ったものであったとしても、そのことは、それとはまた別の「あのコップ」もまた同様に同じ「誰か」が作ったものであることを含意しない。そのような形而上学的な仮定、すなわち存在や世界の純粋な形式に関わる仮定を前提としても、依然として「父」や「少女」は「わたし」とは端的に異なる他者であり、「世界の悲惨」や「この国が犯した恐ろしい罪」のような「政治や社会」にまつわる事柄が、依然として、時に時間や空間を共有していないどこかで生じるという事実それ自体は、何も変わらない。つまり、それらが「自分には関係のないこと」であるという事実は、何も変わらないのである。
それゆえ、高橋のこれまでの議論を受けて我々は、むしろこう考えるべきではないだろうか。「わたしたちが生きる、この現在は、過去が生み出したものだ。遥か、視線を上げると、わたしたちの周りにあるもので、過去と無関係なものは一つもないのである」と述べる高橋の認識は、むしろ、2–3(c)で分析したような、ある種の意味理解の事後的な再構成が遂行されたのちの地平において初めて見出される地平ではないか、と。すなわち、このような解釈に基づくならば、高橋は、本来は結果であるはずのものを原因と見なしている、と言える。このような解釈を前提とするならば、高橋が何故このような誤謬を犯したのかについて、より整合的に理解することが出来るだろう。戦後の70年を振り返り、それが一体どのようなものであったのか、また、現代を生きる日本国民は、そうした過去の戦争体験をいかに理解し、受容すべきか」といった点において、高橋は、「過去」が「この現在」とは切り離された「死んだ」ものではないと見なす認識が必要であると見なす。確かに、そのような認識に到達することなしに「この国が犯した恐ろしい罪」を「他人ごと」ではなく自ら自身の問題として引き受けることは困難であろう。しかし、それを事実として前提し、ある種の形而上学的な主張として受け入れるならば、それは、他者の行為を理解するという結果それ自体を無効化するものであると言わなければならない。
 
以上より、2−3.(c)における高橋の主張の一部は、テクストに内在的な観点から評価しても、テクストに外在的な観点から評価しても、共に誤っていると考えられる。

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