たのしい知識 Le gai savoir

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ことば|記憶|アーカイブ

行為の意味理解における時間性と共同主観性について ──高橋源一郎「死者と生きる未来」の分析を通じて──②

目次
1. はじめに
2. 高橋源一郎「死者と生きる未来」の分析
2-1. 事例提示と問題提起
2-2. 方法の提示
2-3. 分析
 2-3. (a) 第一のパート
 2-3. (b) 第二のパート
 2-3. (c) 第三のパート
3. 終わりに
3−1. 行為の意味理解、それは役割関係の再演によって意味がダイナミックに産出される、共同主観的なプロセスである
3−2. 分割された三つの部分の、目的への従属関係を判定する
 3−2. (a) 行為の意味理解を不可能なものとする二つの不可能性の水準
 3−2. (b) 時間的に隔たった他者の経験のその理解可能性について
 3−2. (c)まとめ
3−3. 他者の行為の共同主観的な理解モデルの問題点
参考文献
 
分析素材:
高橋源一郎「死者と生きる未来」(2015,ポリタス)
 
2-3. 分析
2−2.でも述べたように、本稿では、当該記事を主の互いに有機的に連関する三つ部分に分割可能であると仮定したい。それは以下の三つのパートである。
第一のパートは、現在の「わたし」が過去を回想し、それについていかなる意味づけをすることもなく、また情動的な受容経験を行うことなく、淡々とそれを事実として受け入れていく箇所である(a)。
第二のパートは、そのような過去を経たのち、息子と共に居る場面を通して、「わたし」が、かつて出会った少女や自らの父との出来事や、彼らの行為に対して、異なる意味を見出す箇所である(b)。
第三のパートは、そうした意味理解を通じて、すでに過ぎ去ってしまった過去の出来事をいかなるものとして見なすべきかについて、高橋自身の見解が述べられている箇所である(c)。順に見ていこう。
 
2-3.(a) 第一のパート
まず第一のパートである。第一のパートで提示されるのは、社会において周縁的存在者(marginal  man)として存在する「(かつての)わたし」である。その記述によれば、たとえば高橋は大学を卒業することなく働き始め、一時期は「女衒」のような売春斡旋の仕事をしてお金を稼いでいた。そこでは、中流家庭に生まれ育ち、中間層として生活するような、日本におけるある種の平均的な生活の様式に組み込まれずにパージされた人間の生活が描写されている。当時の日本は戦後高度成長期であり、田中角栄による所得倍増計画など、中間所得者層の拡大が目指されていたが、当然ながら、そのような社会の変化から零れ落ちてしまう人々は同時に存在している。このパートの記述は、そうした中間層に組み込まれることのなかった都市生活者の描写として読むことが出来る。しかし、注意する点は以下のような記述である。
女衒をする「わたし」は、「魂を殺しちゃった」と述べたのちに手首を切った売春婦の女の子のことを思い出し、以下のように回想している。
 
「そのすべてが愚かしいようにわたしには思えた。なによりわたしが驚いたのは、わたしが少しも、その女の子に同情していなかったことだった。わたしは、その哀れな女の子を痛ましいと思うべきだったのだろう。けれども、わたしには、そんな感情が少しも沸いてはこなかった。「自分には関係のないことだ」というのが正直な気持だった。いや、まるで、当てつけのように、目の前で手首を切ったその女の子を、わたしはどちらかというと憎んでいたように思う。/どうして、わたしはなにも感じなかったのだろう。どうして、同情ではなく、腹立たしい思いがしたのだろう。手首を切ったことではなく、「魂を殺しちゃった」といった、その、まるで小説の中のセリフみたいなことばを使ったことに、憎しみを抱いたのかもしれない。なぜなら、彼女には、確かに、そのことばを使う資格があるように、わたしにも思えたからだ。そして、そのことばによって、わたしを責めているように、思えた」
 
高橋はここで、少女の行った行為を、「同情」すべきことではなくむしろ「自分には関係のないこと」として自ら自身から切り離している様子を描写している。それどころか、そうした「小説の中のセリフみたいなことばを使ったこと」で、少女が「わたし」を「責めている」ように「わたし」自身が認識したことについて述べている。こうした、ある種の出来事に対する「わたし」の態度は、父の死に対してより一層明確に提示される。高橋は以下のように述べている。
 
「作家になって、しばらくして父が癌で亡くなった。父は放蕩と無能で家族を何度も路頭に迷わせた人だった。わたしはほとんど父を憎んでいたので、病院に着いて、ベッドで微かに瞼を開けて死んでいる父を見ても、なんの感慨も浮かんではこなかった。それから、ほどなく、父と別居していた母も亡くなった。そのときにもほとんど、わたしはなにも感じなかった。弟や妻は泣いていたが、わたしは、そんな彼らを不思議そうに眺めるだけだった。彼らは、わたしにとって生物学的な父や母にすぎず、そして、すべての人間がそうであるように、死んでいった。ただそれだけのことのようにわたしには思えた。もちろん、わたしも、そうやっていつか死んでゆくだけのことなのだ」
 
上記の引用においては、「癌で亡くなった」父は「放蕩と無能で家族を路頭に迷わせた人」であり、そのような父への「わたし」の憎しみや冷酷な態度は、先の少女の例に比べてより明確に、かつ正当な理由を持ったものとして提示される。「ベッドで微かに瞼を開けて死んでいる父」は、「わたし」に対して「なにも感じ」させるものではなく、それを「泣いて」悲しむ「弟や妻」を、「わたし」はただ「不思議そうに眺める」に過ぎない。このような「わたし」において、人の死は、「すべての人間がそうであるように」当たり前に経験する「ただそれだけのこと」として、その意味の理解やその意味がもたらす情動的受容経験から、「わたし」は切り離されている。
これらの記述を行なったのち、高橋はこのような「わたし」と「少女」や「父」との関係を、「みんな」と「政治や社会」において問題とされる「世界の悲惨」や「この国が犯した恐ろしい罪」との関係に重ね合わせることにより、多くの人々にとって、過去は「他人」ごとであり、自ら自身の追憶や追想の不可能性から、そのような過去の経験を「本心から」憂うことの困難となっているのではないかという主張が暗に高橋は示唆している。高橋は以下のように述べている。
 
わたしは作家を続け、その作品の中で、あるいは、エッセイの中で、「他人」の境遇や悲惨さに心を動かすことばを書きつけたこともあった。けれども、書きながら、「それはほんとうだろうか」と思った。わたしが、政治や社会について発言することを用心深く避けてきたのも、そんな、わたしの本心を気づかれるのが恐ろしかったからなのかもしれない。/ほんとうに、みんなは、世界の悲惨に憤ったり、この国が犯した恐ろしい罪を憎んでいるのだろうか。本心から、そんなことが思えるのだろうか。わたしには、疑わしいように思えた。というより、そんなことは、どうでもいいことのように思えた。
 
第一のパートの重要な点は二つある。
第一に、このパートにおいて、多くの出来事の帰責関係は事実として規範に従うものではないものとして記述されている。たとえば、少女の自傷行為は必ずしも高橋(とされる「わたし」)にのみ事実として帰責されるものではなく、また父の死に対する「わたし」の無感覚には、「路頭に迷わせた」父への憎しみと、そのような憎しみを整合的に理解するに足る「放蕩と無能」という事情が背後にあることが明記されている。こうした幾つもの出来事において、出来事とそれへの反応は、ある種の自然なものとして、あるいは不可避な事態であるかのようなものとして描かれている。このような描写は、当該記事の論理構成の観点から必要不可欠な描写であると見なすことが出来る。というのも、戦後日本においては、「べき」を伴った「正しさ」に対して同調できない人々が現に事実として存在する。高橋は、そのような人々を念頭に置き、そのような人々と当時の自ら自身とがある種の連続した存在であったことを明示するために、こうした一連の描写の形式を採用しているからである。そのことは、以下の記述からも確認することが出来る。売春婦の訴えに情緒的に応えることのできなかった高橋は、そのときのことを振り返りながら、以下のように述べている。
 
「それは、ちょうど、「あの戦争」の被害者が語る「戦争の悲劇」を前にして、わたしが感じる居心地の悪さにも似ていた。「あの戦争を繰り返してはならない」といわれるとき、感じる、「でも、自分には関係のないことなのに」という思いにも似ていた。反論しようのない「正しさ」を前にして、「正しいから従え」といわれたときのような、やる瀬なさにも似ていた」
 
第二に、この文章において高橋は、自ら自身の過去に起きた出来事を、同時に全くの「他人」の出来事と同等の身分を持つ出来事として記述している。このことは、たとえば高橋が少女の自傷行為を回想する際、それを「ちょうど、「あの戦争」の被害者が語る「戦争の悲劇」を前にして、わたしが感じる居心地の悪さにも似てい」ると述べていることから確認することができる。
この二点から、過去の出来事は、その意味が固定したまま変動せず、それは「わたし」から切り離され、「わたし」に対して疎遠なものとして記述されている。

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