たのしい知識 Le gai savoir

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ことば|記憶|アーカイブ

「隠し事を空輸することはできない、と思う」【日記】

空港に来ると毎回(ほんとに毎回)必ずキューブリックの「現金に体を張れ」を思い出す。滑走路の上に舞う札束のイメージ。フィルム・ノワール
隠し事を空輸することはできない、と思う。
18.8.?

 

まるで浦島太郎にでもなった気分です、と言ったとき、ふいに「桃源郷」という言葉が思い浮かんだ。桃源郷、TŌgenKYO。「あぁ、そうか、東京のことか」。あとで気付く。
19.2.1.

 

彼女は、いつも、子供のころのわたしに似ている。
18.11.13.

 

ふいに『万里の長城』というカフカの短編小説をおもいだす。
主人公は農村共同体で生活している。歴史が移り変わり、中国が国民国家になると同時に、隣国の侵入を防ぐための長城の建設が、国家事業として主人公の農村でも行われる。
主人公の農村には、それまで隣国の侵入など全く考える必要がなかった。新しく配布された「地図」を見ると、中国大陸と敵国(恐らく中央アジア勢力)と農村の関係は分からない。農村のリアリティは大陸規模の地図の縮尺から汲み取ることができない。が、農村の人々は、以前行なっていた労働をやめて、政府から支持された万里の長城の建設事業に駆り出され、来る日も来る日も万里の長城の建設事業に従事する。
あるとき、周囲を一望できるだけの広がりをもつ城壁を作り上げていく主人公たちは、自分たちが未だ見たこともない中国に所属している人間であると感じるようになる。

万里の長城は、外敵という他を排出することによって国家という自己規定を生み出す、ある種の界面に他ならない。
2018.2.??

 

「可能なものの彼岸にある不可能なものをつかもうとすることによってのみ、きわめて多くの場合、可能なものが達成された」
(ウェーバー社会学・経済学における『価値自由』の意味」『ウェーバー社会学論集』河出書房新社、p. 327)
18.12.3.

 

出来の悪い短編小説のような3泊4日。
18.8.?

 

「わたしはいつも、夜になると食べたものを嘔吐していた。手帳を見ると一ヶ月前からずっと吐いている。その嘔吐した食べ物を片付けながら、ときどき悲しくなって泣く。友達はわたしのことを心配しつつ、気性の荒いやつだと思っている。直接そう聞いたわけじゃないけれど、友達は時々わたしの顔を見ながら、わたしの背後を見透かすように視線をぼかす。あのとき、あいつは目の前のわたしじゃなくて、わたしの背後にある何かを見ようとしているんだ。そして、わたしは、そんなときのどこか散漫な顔をした友達のことが、嫌いだ」
19.1.14.

 

ストロングゼロを飲んで、久しぶりに酔っ払っている(夜中の頭痛が怖い…)。

18.7.31.

 

「世間一般の哲学は被造物から始め、デカルトは精神から、私は神から始める」(スピノザ『エチカ』(岩波文庫)二十二頁)
19.2.2.

 

超能力を持っている母の話をした。
18.6.23.

 

「詩的厚みとは、作品の同一性(identity)を損なうことなしには、形式も内容も分離できないといった、詩作品の経験における詩的形式と詩的内容の分離不可能性のことである。詩的厚みとは、テクストの性質というよりも作品によって満足される要求(demand)であり、ある作品が詩作品であるときにそれが応えるだろう詩に特有な要求である」
「すなわち、詩は、生の事実として(テクストの性質として)言い換え不可能であるわけではない。形式と内容が統一的であるような言い換え不可能な経験において詩が鑑賞されているのであり、そうした経験をもたらすことを詩はしばしば要求される」

(Lichtung『詩の哲学』http://lichtung.hatenablog.com/entry/introductioin.to.a.philosophy.of.poetry.lichtung
19.1.29.

 

今日は文フリの日だった。眼が覚めるのが遅く、散らかった部屋を片付けると、お昼過ぎになる。
けっきょく文フリには行かなかった。だから、いぬのせなか座の手売り雑誌はまだ買えていない。
その代わりhの文章を読む。なぜ山本が彼女の文章に驚くのかが、少しだけわかった気がする。たとえば次の文。「夏になる。梅雨がすぐにあけ、夏になった。雨が降ったかおぼえていない」。たった三文だが、異なる時空に存在する「私」同士が文字通り拮抗し合っている。

(すべての少年『20180704』http://inunoesa.tumblr.com/post/175539684099/20180704
18.11.25.

 

「言うまでもなく、人生全体は崩壊の過程である」と言ったフィッツジェラルド。「それが人生だ。結局、人権なんてなくて、あるのは人生」と言ったドゥルーズ
18.8.26.

 

ちょっとだけ、おっさんになったと思う。
18.7.31.

 

「祈りとは、われわれが沈黙するところから始まるものです。祈りとは、静寂を招き入れ、神の声を聞くことです。もちろん、具体的な営為としての祈りは、まず祈祷の言葉を唱えることにあります。カトリックの場合は定型の祈りを重んじます。「天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを…」、今は、文言が変わっていますが、私のからだにはこの言葉が染みついていて離れない。決まった祈りを日々唱えることは、仏教の表現を借りればマントラ的であるかもしれません。ロザリオの祈りはその典型です。決まった文句を唱えつづけることで内面が浄化され、均衡を取り戻す。そして神の声を聞ける余白は開かれてくる」

(若松・山本『キリスト教講義』、一八八頁)
18.12.23.

 

蝉の鳴き声。
18.8.1.

 

アーギュメンツ#3の山内朋樹の論考「なぜ、なにもないのではなく、パンジーがあるのか」。

おそらく福島県浜通り周辺の写真であろう閑散とした風景写真を眺めているとき、あることに気付く。「この街にも「わたし」としてこの風景を眺め、生きていたひとがいた」
この写真を見る限り、人々はどこかへ去っていったようだった。わたしは、この写真を「被災地の写真」として見ている。公的な言説において語られ、世界史的な事件を孕んだ場として見ている。先の気付きは、対象にうちに最も私的なものを見出させ、そしてその気付きは、翻って私的なもののうちに既に公的な事態、世界史的な事態、政治的であるような事態が含まれている──そう認識するようわたしに強いる。
18.8.20.

 

この世界は政治と経済にまみれていて、ぼくはそれに一切手を貸したくない、と彼は言った。
18.12.?

 

20年間ものあいだ、誰にも抱きしめられず、誰も抱きしめなかった人の記事を読む。
19.1.14.

 

おなじ場所でおなじことをしていながら、別々でいることがある。
18.5.?

 

クラリネット。写真。子供。
18.10.31.

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