たのしい知識 Le gai savoir

習作(@hiropon12124870)

外科医のトリシャ・ブラウン

外科医のトリシャ・ブラウン2017.x.x

Kさんの家に行くと、Kさんはわたしに必ず紅茶かお茶を出してくれる。わたしがコーヒーを飲まないから、彼女は代わりに紅茶を出す。その紅茶を飲んでいるあいだも、外の景色は澄んでいる、だがカーテンに仕切られて外の景色は見えない。いつ行ったときもそのように締め切られている部屋だが、不思議と圧迫感がなかった。プリンスホテルから持ち帰ってきたという歯ブラシで、彼女がいつも顔を洗っている洗面台で歯を磨くと、歯ブラシの歯先が硬いからか、毎回血が出てしまう。微かにひび割れた洗面台にその血を吐くと、その血はどこか泥のように見えた。わたしは泥を吐いていた。その血を見たくなかったので、すぐに水を出してわたしはその血を流す。

Kさんから届くメッセージにはいつも文末の丸がない。その言葉は文末の仕切りを失って、物憂げに余白に向かって開かれている。幽霊の文体、時差を伴って届く過去からの言葉。わたしはそうした文章の作法を、わたし自身が適用していないこともあり、快く思う。そのように各々が固有の言葉遣いのうちに身を隠し、自らの言葉に肉を与えればよい、それくらいでしか風土に根ざした言葉を失ったわたしらに、言葉を血肉化する術はないのだから。≪まぁ、それはうれしい。イヒヒと変に笑う私でも ≫

魚忠。わたしは煮物を頼み、Kさんはカキフライを頼む。店内のなかは空調が効いていて、額がわずかに汗ばむような気がしたが、Kさんはそうした素ぶりを見せなかった。わたしらは別のからだを持っている。注文を取るときのKさんは、数秒ごとに顔の表情を微かに変え、そして最終的には落ち窪んだ子供のぬいぐるみのようなつぶらな瞳をして、ウェイターの返答に頷く。複数の単位を基礎として多数化する距離。こちらから背を向けている客は英語で会話をしていたため、何をしゃべっているかは分からなかった。出されたお茶は温かく、飲むためにはもうすこし冷やさなければならなかった。

ひとと食事をするとき、わたしはいつも前衛的な舞踏や、もしくはジャグリングに使われるあの細長い棒のことを思い出す。それはまるで小道具を大量に使った舞台のリハーサルのようだ。Kさんとの会話と、お茶を飲むことと、いくつもの小鉢に入った料理を箸でつまみ、口元にまで運ぶこと。煮られて弾ける大豆のような気持ち。迷い箸は下品だからしてはなりませんよ、と親から習ったわけではないのに、気付けばそれを意識している自分がいる。なぜだろう。Kさんはやや緊張しているようにも見えたが、そもそもわたしはKさんのことをよく知らなかった。ふと、最初に抱き合ったときのKさんの心臓の激しい鼓動を、思い出す。猫のような振る舞いに隠された力強いリズムの感覚。出された豆腐に醤油をかけると、鰹節がほんのすこしだけ動いたような気がした。Kさんが美味しそうに頬張っていたカキフライは、「あかさか」で食べるカキフライよりもずっと大きく、おいしそうだった。食事を終えて会計を済ませ、外に出ると、細い雨が降っていた。わたしは傘を持っていなかった。Kさんはとても早い速度で歩き、わたしはバイクを引いて歩きながら、そのあとを急いでついていく。≪Everybody thinks I'm this delicate little girl.But you can 't judge a book by its cover≫

夢。歯科医の兄の部屋で眠ると、恋人との写真などがたくさん置いてある。すぐ先の部屋では父と母が寝ている。脳外科医になりたかった、と兄は言った。(汗をかき、そのたびに何度も眼が覚める)

シモンドンというフランスの哲学者がやってくる(舞踏家のトリシャ・ブラウンの親戚なのかもしれない)。彼は外科医でもあるらしい。母とともに踊りを踊る。医療者は変わり者じゃないと出来ない仕事だ、とわたしは言った。そのへやにはたくさんの医療者が居て、母とその男とともに踊り始める。彼と握手をすると、手をねじられる。親戚が家にまでやってきて、60近い親戚のおばさんが、とても過激な格好をしている。実は弟(妹?)がいるといった人がいて、その隣にはすっかり大きくなった従姉妹がわたしのことを、「楽天的に見えるけど、苦しそうなのを一切やめないひと」と言った。

上を見上げるほど大きな高層ビルが、この街の最大のアミューズメントパークだった。そこへ女の子と一緒に行く。なんでもあるんだ、と女の子は言い、じゃあ、踊れるところもあるかな、とわたしが言う。彼女はわたしと寝るつもりで会いにきたらしい。神学徒の友人が、わたしと彼女とのあいだにいる。彼女は、その友人ではなくわたしを選んだようだった。わたしは彼女と寝ることが何故か出来なかった。寝たくないからか、いったい何に問題があるのか、よく分からなかった。その女性はいつしか昔アルバイト先に居た顔のふっくらしたおかっぱ頭の女の子になっていた。肌の白い女の子だった。

わたしはものすごい勢いで呻きながら苦しみ始める。泣き出すわけでもなく、ほんとうにずっと呻きながら苦しんで、その苦しみの理由がわたしには分からなかった。わたしたちの育て方が悪かったのか、と両親は悩み、そしてわたしのことを考えるのに疲れて、わたしを放り出して二人の世界に閉じこもる。このまま自分がおかしくなってしまうのではないかと思うほど、その苦しみは持続した。

(起床後、わたしはこれ以上ないほど恐ろしい夢を見たと感じる)

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