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たのしい知識 Le gai savoir

習作(@hiropon12124870)

絵はわたしを見返さない(点のように記号的な目だったから)

むっとした顔で昼、大島渚の『日本春歌考』を観て、その「親は呪え、師は殺せ、友は裏切れ」のコピーに、わたしは数年前の春をひっそり垣間見た(が、そのあとは「女は抱け」で一挙にわたしが分散して片割れは消えた)。

作中、伊丹は教え子たちをメソポタミア文明の展覧会に連れて行こうとして一酸化炭素中毒で死ぬ。ならばと思い、支度をする。

1967年の伊丹十三の代わりにやってきた美術館はわたしより大きく、わたしはその中に収まってお腹を痛くする、というのも美術館の大きさにはいつも号令が鳴っていて、その癖中心ではロボットと子供たちがダンスしているのだ、全くからだのバランスが悪い中年男性の園である。中年男性はいないのだが。

伊丹十三の代わりに観る中沢琢二(知らない作家だが、脇に九州派の寺田がある、描線や額縁とは別に、わたしはその名にかなり馴染んでしまっている)。f:id:hiropon110:20170328185007j:plain

伊丹十三一酸化炭素中毒で死んだのが1967年、同じ年の作品を探すと『子犬と女』というのがあった。伊丹は教え子たちをメソポタミア文明の展覧会に連れて行こうとした、この絵はそれとは全く関係がなかったが、とりあえず関係があると思い込む。

油彩の線の厚みは、塊(マッス)と形態とを同時に(内と外とを繋げる仕方で)面にする。そして、仮にそれが、画布と鑑賞者のあいだの距離を、そのまま作品の成立条件に含むことを要請するとしたら?

より塊と形態とを一致させればさせるほど、作品がうちに含む距離は伸びる。(例えば「首飾り」のワンピースを着た少女の膝下が膨らむためには数十メートルの距離が必要だ)

鑑賞者は、『十和田の娘』で『最上川の女』で『少女』で、面からその物質としての制約を忘れるために、面とのあいだの距離を、条件として飲み込まなければならない。

ならば、中村琢二は、画布に油彩で対象である人を描くという、平面と最も至近距離にある状態から、それへと向かい、それを鑑賞する者たちへの距離を、面のうちに塗り込んでいたのではないか。

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寺田の『我がモンロー』は、形態が重力によって歪み、そこに油彩が繰り返し塗りたくられることで、油彩の持っている形態と塊の一致という理念を、中村などの作家よりも、より自覚的に反復している。

そこで何らかの運動は、描くの身体の側にではなく、油彩の特質のうちにある運動として結晶化している(観るものたちは、作者の身体と同一化するのではなく、構図のうちに表現された重力を自らの知覚に移植しはじめる)

こうした油彩のラディカリズムと、中沢の牧歌的なリアリズムとの差異は、どこまでが本質的なものなのか。わたしは、ここには本質的な差異はないと思う。

だが、同じく油彩を用いた孫雅由の『色の位置』は、この両者とはっきり対立している。『色の位置』は、むしろ平面と立体の関係を油彩によって仮構することを、拒否しており、いわば対象の模写ではない抽象的な画布の中でも、孫の試みは、還元主義のような「減算志向」があるのだ。f:id:hiropon110:20170328184522j:plain

ただし、モンドリアンポップアートとは違って、油彩には描くもののうねる手付きを、どうしても消去出来ない。『色の位置』の描線の羅列は、そうした油彩のうねりによる立体性を拒否した上で、色彩の差異によって立体性を仮構しようとする。ゆえに寺田のような正統的なラディカリストとは別の方向から、類似した理念(擬似理念)を提示している、と言えるのかもしれない。

中沢の風景画を除いた油彩において、着目点としてあるのは、顔の記号化をどう処理するのかという点と、着衣の厚みと影との関係に、簡略手続きの手法がどれだけ徹底されているか、という点ではないか。この二つの点で好対照を為していたのは中村研一の『サイゴンの夢』だった。

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