たのしい知識 Le gai savoir

習作(@hiropon12124870)

坂の向こう側

 遠くへ行こう、と思う瞬間があった。

 それがどんなときだったのか、今となっては思い出すことは出来ない。それでも確かにそうした感覚を強く感じる瞬間があった。子供の頃、わたしの行動範囲はいつもとても狭かった。わたしの家が位置する地区は、学校の指定した校区の、ちょうど境界に位置する地点であったため、わたしが家を出て見える家は、「別の学校の家」だった。それは別の世界そのものだった。

 そうした決まりに対して、わたしは頑なに従うほうではなかったものの、なぜかわたしは、その決まりを破ったことがほとんどなかった。そのためわたしの行動範囲はいつもとても狭かった。それ以上先に、足を踏み入れ、道路を横断することを、わたしには許されていない、当時のわたしはそう思っていた。

 校区の端に住居があったなら、ではその校区の中心に向けて出歩けばいいではないか、とひとは言うかもしれない。だが、わたしの住んでいる地区は、森を造成して切り開いた新興住宅地であり、校区の中央へと行くには、楕円曲線を描きながら緩やかーーしかし上り下りするにはあまりにもきついーーに上昇していく坂を降りなければならなかった。「地獄の坂」とクラスメイトらから呼ばれていたその坂は、どことなく校区の中央へと出歩かせる気力を、わたしから削いでいた。地上より高いわたしの住宅地は、森の匂いが、碁盤の目のように整然と建造されていった家々によって削ぎ落とされた、他の場所よりも、すこしだけ空の近いところだった。公園でキャッチ・ボールをして、時折投げる方向を間違ってそのボールが公園のフェンスの外に落ちると、そのボールはどこまでも下にまで落ちていき、わたしと友達は、そのボールが落ちていくのをただフェンスの網越しに見つめていた。

 思い返してみると、あれは確か陽が沈み、整然と並ぶ家々の隅に影が出来始めるころ、電柱に備え付けられた灯りが点灯され始めるよりも少し前の、ある夕暮れの一日だったのかもしれない。台所には魚を捌いている祖母が居り、居間は白熱灯の灯りでしっとりと橙色を帯びていた。三歳上の兄は中学の部活動でまだ帰ってきておらず、両親はまだ仕事をしていた。家にいるのは祖母とわたしだけだった。わたしは家を出て、駐車上の端に停めてある自転車に乗って、尻尾を振って遊んでくれると勘違いした犬を尻目に、外を出た。遠くへ行こう、と思った。

 行き先は特に決めていなかったが、次第にわたしは校区外の、祖母の姉が入居している介護施設へ向かっていた。祖母の姉は後期高齢者で、独身で、大阪で靴屋を営んでいたひとだった。「あのひとは金にがめつくくてなあ」、祖母は土産物を持って姉のところにまで行くとき、いつもそう言った。一度だけ家族に連れられ、祖母の姉のもとへ行ったとき、握りしめた祖母の姉の手はしわがれていたものの、その手の力がとても強かったのを、わたしは思い出していた。わたしは特にその祖母の姉が好きだったわけではなかった。覚えている記憶といえばそれくらいだった。もう何年も会っていなかった。

 校区外を出るとすぐに、「地獄の坂」よりもずっとなだらかな坂が続く大通りに、わたしは突き当たった。その向こう側には、大学を誘致するために大規模な工事が日夜続けられており、その坂によって区切られた二つの崖には、M字型の橋が立てかけられたばかりだった。まるで笑っているように見えるそのM字は、その乳白色の材質と相まって、未来の都市へと渡されている橋のように思われ、わたしはそれを見ると何故かいつも喜びを感じ、顔をほころばせた。そして、その橋の向こう側は、その先を眺め見ることが出来ないほど、坂が延々と続いていた。わたしは立ち漕ぎをしたままその向こう側にある、介護施設へ向かっていった。陽の翳りが月の光に溶け込み、家々の軒先からは光が漏れ、散歩をしているひとと犬は、いつもよりも影のように空々しかったような気がして、吐く空気さえも他人の息のように思われた。吐く息が白くなるほど寒くはなかった。

 このまま帰らなかったらどうなるだろう、にわかに冷たくなりはじめる空気が頬に触れ、わたしはそう思いながら、車で昔その向こう側に行ったときに見た、森の端に建てかけられた看板のことを思い出していた。その看板には一枚の写真が貼ってあった。先の尖った石が写っていた。但し書きによれば、その石は旧石器時代に使われていたもののようだった。森は何千年前からそこにあったのだ。その写真のように、いつかあの森のなかに溶け込んでいったら、何千年後にわたしの写真がそこに載るのかな、数千年前にこの森に迷い込んだ少年の写真、と但し書きを書かれて。そう思っているうちに、わたしは坂を上ってしまう。後ろを振り返ると、模型のように小さく見える家々と、坂を照らす電灯の列が見え、石畳のその坂に照らされた光と影が混じり合って濁り、遠くから聞こえてくる車の音は、その坂の濁りのうちに吸い込まれ、そして何も物音がしなくなった気がした。身体の表面に、薄い膜が貼られたような奇妙な感覚の存在に、わたしは気がつきそして身体をさすった。

 家から出て数百メートル足らずの坂の向こう側の平地には、今なお作られようとしている大学が雑然と並んでいた。近代的なその建築物たちは、数年後に完成され、その一帯は一つの都市のようなものになるよう計画されていたようだった。登り坂の端には、笑顔を浮かべた家族の写真が貼られた入居者募集の看板と、厳めしい大学の完成予想図が貼られた大学の看板が立てかけられていた。「国際的な社会変動の先を見据えて、科学研究の更なる向こう側へ」。わたしはどちらの看板もあまり好きではなかったが、その理由は、自分でもよく分からなかった。それに、学校で会うクラスメイトはみな地獄の坂の下で生活していて、そうした人工都市の話がクラスメイトとのあいだで為されることもなかった。わたしにも、クラスメイトにも、わたしの家族にも、それは何の関係もないことのように、当時のわたしには思えた。介護施設は、楕円形を描く人工都市の、その隅にある森の近くにあった。

 結局のところ、わたしはその介護施設を訪ねることなく途中で道を引き返し、坂を下って来た道を辿って帰り、犬に餌をやって、そして何事もなかったように家の扉を開け、玄関から漏れ出す強い光を浴びた。わたしは家に帰った。

 どうして介護施設にまで行かなかったのだろう、と今になっては思うが、その理由はどうしても思い出すことが出来ない。坂の向こう側には、今では様々な大学がひしめき、海の向こう側からやってきた留学生がその道の端でわたしの分からない言葉をしゃべっている。「国際的な社会変動を見据えて、科学研究の更なる向こう側へ」。

 そのとき飼っていた犬は死に、その数年後に、両親は別の犬を飼うようになった。また、祖母の姉は今も変わらずその介護施設に住み続け、そして、わたしの祖母は、今も土産物を携えて姉のところへ行っている。あの祖母の姉の、温かな手と、力強い感触。「あのひとは金にがめつくくてなあ」。

今では、遠くへ行くことはあっても、あの坂を登ることはない。それは悲しむべきなのか喜ぶべきなのか、あるいは大したことではないのだろうか。時々思い出す。

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