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たのしい知識 Le gai savoir

習作(@hiropon12124870)

絵はわたしを見返さない(点のように記号的な目だったから)

むっとした顔で昼、大島渚の『日本春歌考』を観て、その「親は呪え、師は殺せ、友は裏切れ」のコピーに、わたしは数年前の春をひっそり垣間見た(が、そのあとは「女は抱け」で一挙にわたしが分散して片割れは消えた)。

作中、伊丹は教え子たちをメソポタミア文明の展覧会に連れて行こうとして一酸化炭素中毒で死ぬ。ならばと思い、支度をする。

1967年の伊丹十三の代わりにやってきた美術館はわたしより大きく、わたしはその中に収まってお腹を痛くする、というのも美術館の大きさにはいつも号令が鳴っていて、その癖中心ではロボットと子供たちがダンスしているのだ、全くからだのバランスが悪い中年男性の園である。中年男性はいないのだが。

伊丹十三の代わりに観る中沢琢二(知らない作家だが、脇に九州派の寺田がある、描線や額縁とは別に、わたしはその名にかなり馴染んでしまっている)。f:id:hiropon110:20170328185007j:plain

伊丹十三一酸化炭素中毒で死んだのが1967年、同じ年の作品を探すと『子犬と女』というのがあった。伊丹は教え子たちをメソポタミア文明の展覧会に連れて行こうとした、この絵はそれとは全く関係がなかったが、とりあえず関係があると思い込む。

油彩の線の厚みは、塊(マッス)と形態とを同時に(内と外とを繋げる仕方で)面にする。そして、仮にそれが、画布と鑑賞者のあいだの距離を、そのまま作品の成立条件に含むことを要請するとしたら?

より塊と形態とを一致させればさせるほど、作品がうちに含む距離は伸びる。(例えば「首飾り」のワンピースを着た少女の膝下が膨らむためには数十メートルの距離が必要だ)

鑑賞者は、『十和田の娘』で『最上川の女』で『少女』で、面からその物質としての制約を忘れるために、面とのあいだの距離を、条件として飲み込まなければならない。

ならば、中村琢二は、画布に油彩で対象である人を描くという、平面と最も至近距離にある状態から、それへと向かい、それを鑑賞する者たちへの距離を、面のうちに塗り込んでいたのではないか。

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寺田の『我がモンロー』は、形態が重力によって歪み、そこに油彩が繰り返し塗りたくられることで、油彩の持っている形態と塊の一致という理念を、中村などの作家よりも、より自覚的に反復している。

そこで何らかの運動は、描くの身体の側にではなく、油彩の特質のうちにある運動として結晶化している(観るものたちは、作者の身体と同一化するのではなく、構図のうちに表現された重力を自らの知覚に移植しはじめる)

こうした油彩のラディカリズムと、中沢の牧歌的なリアリズムとの差異は、どこまでが本質的なものなのか。わたしは、ここには本質的な差異はないと思う。

だが、同じく油彩を用いた孫雅由の『色の位置』は、この両者とはっきり対立している。『色の位置』は、むしろ平面と立体の関係を油彩によって仮構することを、拒否しており、いわば対象の模写ではない抽象的な画布の中でも、孫の試みは、還元主義のような「減算志向」があるのだ。f:id:hiropon110:20170328184522j:plain

ただし、モンドリアンポップアートとは違って、油彩には描くもののうねる手付きを、どうしても消去出来ない。『色の位置』の描線の羅列は、そうした油彩のうねりによる立体性を拒否した上で、色彩の差異によって立体性を仮構しようとする。ゆえに寺田のような正統的なラディカリストとは別の方向から、類似した理念(擬似理念)を提示している、と言えるのかもしれない。

中沢の風景画を除いた油彩において、着目点としてあるのは、顔の記号化をどう処理するのかという点と、着衣の厚みと影との関係に、簡略手続きの手法がどれだけ徹底されているか、という点ではないか。この二つの点で好対照を為していたのは中村研一の『サイゴンの夢』だった。

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坂の向こう側

 遠くへ行こう、と思う瞬間があった。

 それがどんなときだったのか、今となっては思い出すことは出来ない。それでも確かにそうした感覚を強く感じる瞬間があった。子供の頃、わたしの行動範囲はいつもとても狭かった。わたしの家が位置する地区は、学校の指定した校区の、ちょうど境界に位置する地点であったため、わたしが家を出て見える家は、「別の学校の家」だった。それは別の世界そのものだった。

 そうした決まりに対して、わたしは頑なに従うほうではなかったものの、なぜかわたしは、その決まりを破ったことがほとんどなかった。そのためわたしの行動範囲はいつもとても狭かった。それ以上先に、足を踏み入れ、道路を横断することを、わたしには許されていない、当時のわたしはそう思っていた。

 校区の端に住居があったなら、ではその校区の中心に向けて出歩けばいいではないか、とひとは言うかもしれない。だが、わたしの住んでいる地区は、森を造成して切り開いた新興住宅地であり、校区の中央へと行くには、楕円曲線を描きながら緩やかーーしかし上り下りするにはあまりにもきついーーに上昇していく坂を降りなければならなかった。「地獄の坂」とクラスメイトらから呼ばれていたその坂は、どことなく校区の中央へと出歩かせる気力を、わたしから削いでいた。地上より高いわたしの住宅地は、森の匂いが、碁盤の目のように整然と建造されていった家々によって削ぎ落とされた、他の場所よりも、すこしだけ空の近いところだった。公園でキャッチ・ボールをして、時折投げる方向を間違ってそのボールが公園のフェンスの外に落ちると、そのボールはどこまでも下にまで落ちていき、わたしと友達は、そのボールが落ちていくのをただフェンスの網越しに見つめていた。

 思い返してみると、あれは確か陽が沈み、整然と並ぶ家々の隅に影が出来始めるころ、電柱に備え付けられた灯りが点灯され始めるよりも少し前の、ある夕暮れの一日だったのかもしれない。台所には魚を捌いている祖母が居り、居間は白熱灯の灯りでしっとりと橙色を帯びていた。三歳上の兄は中学の部活動でまだ帰ってきておらず、両親はまだ仕事をしていた。家にいるのは祖母とわたしだけだった。わたしは家を出て、駐車上の端に停めてある自転車に乗って、尻尾を振って遊んでくれると勘違いした犬を尻目に、外を出た。遠くへ行こう、と思った。

 行き先は特に決めていなかったが、次第にわたしは校区外の、祖母の姉が入居している介護施設へ向かっていた。祖母の姉は後期高齢者で、独身で、大阪で靴屋を営んでいたひとだった。「あのひとは金にがめつくくてなあ」、祖母は土産物を持って姉のところにまで行くとき、いつもそう言った。一度だけ家族に連れられ、祖母の姉のもとへ行ったとき、握りしめた祖母の姉の手はしわがれていたものの、その手の力がとても強かったのを、わたしは思い出していた。わたしは特にその祖母の姉が好きだったわけではなかった。覚えている記憶といえばそれくらいだった。もう何年も会っていなかった。

 校区外を出るとすぐに、「地獄の坂」よりもずっとなだらかな坂が続く大通りに、わたしは突き当たった。その向こう側には、大学を誘致するために大規模な工事が日夜続けられており、その坂によって区切られた二つの崖には、M字型の橋が立てかけられたばかりだった。まるで笑っているように見えるそのM字は、その乳白色の材質と相まって、未来の都市へと渡されている橋のように思われ、わたしはそれを見ると何故かいつも喜びを感じ、顔をほころばせた。そして、その橋の向こう側は、その先を眺め見ることが出来ないほど、坂が延々と続いていた。わたしは立ち漕ぎをしたままその向こう側にある、介護施設へ向かっていった。陽の翳りが月の光に溶け込み、家々の軒先からは光が漏れ、散歩をしているひとと犬は、いつもよりも影のように空々しかったような気がして、吐く空気さえも他人の息のように思われた。吐く息が白くなるほど寒くはなかった。

 このまま帰らなかったらどうなるだろう、にわかに冷たくなりはじめる空気が頬に触れ、わたしはそう思いながら、車で昔その向こう側に行ったときに見た、森の端に建てかけられた看板のことを思い出していた。その看板には一枚の写真が貼ってあった。先の尖った石が写っていた。但し書きによれば、その石は旧石器時代に使われていたもののようだった。森は何千年前からそこにあったのだ。その写真のように、いつかあの森のなかに溶け込んでいったら、何千年後にわたしの写真がそこに載るのかな、数千年前にこの森に迷い込んだ少年の写真、と但し書きを書かれて。そう思っているうちに、わたしは坂を上ってしまう。後ろを振り返ると、模型のように小さく見える家々と、坂を照らす電灯の列が見え、石畳のその坂に照らされた光と影が混じり合って濁り、遠くから聞こえてくる車の音は、その坂の濁りのうちに吸い込まれ、そして何も物音がしなくなった気がした。身体の表面に、薄い膜が貼られたような奇妙な感覚の存在に、わたしは気がつきそして身体をさすった。

 家から出て数百メートル足らずの坂の向こう側の平地には、今なお作られようとしている大学が雑然と並んでいた。近代的なその建築物たちは、数年後に完成され、その一帯は一つの都市のようなものになるよう計画されていたようだった。登り坂の端には、笑顔を浮かべた家族の写真が貼られた入居者募集の看板と、厳めしい大学の完成予想図が貼られた大学の看板が立てかけられていた。「国際的な社会変動の先を見据えて、科学研究の更なる向こう側へ」。わたしはどちらの看板もあまり好きではなかったが、その理由は、自分でもよく分からなかった。それに、学校で会うクラスメイトはみな地獄の坂の下で生活していて、そうした人工都市の話がクラスメイトとのあいだで為されることもなかった。わたしにも、クラスメイトにも、わたしの家族にも、それは何の関係もないことのように、当時のわたしには思えた。介護施設は、楕円形を描く人工都市の、その隅にある森の近くにあった。

 結局のところ、わたしはその介護施設を訪ねることなく途中で道を引き返し、坂を下って来た道を辿って帰り、犬に餌をやって、そして何事もなかったように家の扉を開け、玄関から漏れ出す強い光を浴びた。わたしは家に帰った。

 どうして介護施設にまで行かなかったのだろう、と今になっては思うが、その理由はどうしても思い出すことが出来ない。坂の向こう側には、今では様々な大学がひしめき、海の向こう側からやってきた留学生がその道の端でわたしの分からない言葉をしゃべっている。「国際的な社会変動を見据えて、科学研究の更なる向こう側へ」。

 そのとき飼っていた犬は死に、その数年後に、両親は別の犬を飼うようになった。また、祖母の姉は今も変わらずその介護施設に住み続け、そして、わたしの祖母は、今も土産物を携えて姉のところへ行っている。あの祖母の姉の、温かな手と、力強い感触。「あのひとは金にがめつくくてなあ」。

今では、遠くへ行くことはあっても、あの坂を登ることはない。それは悲しむべきなのか喜ぶべきなのか、あるいは大したことではないのだろうか。時々思い出す。

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名前と「もの」

名前と「もの」

 言葉の、特に名詞は、ものや出来事の名であると言われている。
 名詞は、無意味な音素の羅列ではなく、それ自体が何かを指し示しており、何らかの視覚的な表象や感覚知覚などに結びついている。しかし、ほんとうに言葉がものとのあいだに対応関係を持っているのかどうか。それは、動詞や名詞などを修飾する形容詞や副詞などのみならず、確実に一個のものと対応している名詞でさえ、怪しいことがある。

 いくつかの方向性を考えながら、先に進めていこう。それは極めて単純な話である。
 目の前の物質としてある「これ」と言葉の上での「本」は、同じものだろうか。語と対象とが同じである、というときの、この「同じ」は、いったい何を意味しているのだろうか。まず、感覚知覚の方向から考えてみる。実在する本はわたし自身の観念の連合物などではなく、わたしの複数の知覚や複数の時空のもとでの知覚経験を総合したとき、それが「同一性」を持ち、常に同じこの本として考えられ、また本の持っている一義的な「読むことが出来る」という機能を有するものとしてその本がある場合、その本が「在る」ということを、わたしは理解する。つまり、それは先験的な対象ではありえず、わたしの経験を必要とする認識である。そして、「本」という語が、本という実在する個物を指しているという了解をわたしは行う。
 だが、もし仮に、本が粒子の集合であり、量子力学の考え方すればどの本であれ、読むことが出来るものというよりも、そうした粒子の集合でしかないといった場合、本はわたしが知覚経験と表象によって結びつけているあの「本」という語と、同一のものを指し示していると言うことが不可能となる。

 つまり、純粋な自然科学における対象認識において、本という語は、何も指し示さない「不適当な語」となる。
 では、それでもなぜ「本」という語がこの世の中にはあるのか。それは、物理法則の世界においてこのような語による意味の文節化はナンセンスであったとしても、人間の経験的な世界においては「本」という語によって何らかの意味を発生させることが可能だからである。わたしたちが、そのような世界把握をもとにして生きていること、わたしたちの認識が、物理世界の法則にすべて還元されない形で存在していること、ここにおいて、本という語が科学法則における語の採択から逃れ続けている意味がある。(私見によれば、この問題は用在連関が一義的な形相とは別の機能を生み出すことよりも、重要な論点を含む。これは、事実としてそれが「原因」となるような真のものの秩序が、「結果」のうえで問題とならないということを指しており、意味の論理学におけるドゥルーズの議論が参照項となる。また、これはいわゆる「存在論的コミットメント」とクワインが読んでいる問題であり、科学的実在論が多く議論している)

 だが、それに対して、言葉の不完全さはもっと別のところにある。本の例を挙げていくなら、わたしは本という観念を有してはいるものの、その本という語に対応している本は、必ず「この本」と直接に指示できるような、他の本から区別された個物であり、固有の題名を持っている。たまたま視界の目の前にある「精神症候学」は、その隣にある「美学事典」とも違うし、「眼と精神」とも違う本である。いうなれば、本という語は、あくまでも特定の個物に対応しているのではなく、その個物の有する代表的な性質とに対応している、ということができる。つまり、当たり前だが本とはカテゴリーの名であり、固有名ではない。
 このような推論を通じて、本という語は、一般に個物を指示しているのではなく、個物をもっと正確に指示することが出来るのは「固有名」である、とした。だが、次にこの「固有名」もまた、そう簡単に了解することが出来ない性質を秘めている。固有名は、直接個物に対して名付けられている。わたしは「精神症候学」という本が、目の前の物質として紙の束と正確に対応していることを理解する。しかし、なぜ「精神症候学」という固有名が、この目の前の本に対して与えられたのか。その理由の一つとして、その本の著者がその本をそのように名付けたからだ、という解答がありうる。では、なぜ著者はこの本をそのように名付けたのだろうか。
 
 固有名は、その個物の内容を代表しているものだとするなら、「精神症候学」という名が、その本の内容を一番代表しているものとして、著者によっては考えられていたのか。しかし、その本の内容と題名が一致していることは、そのように著者がそのこの本に対する名付けに特権的な位置が与えられている、という前提を持たない限りは、成り立つことが出来ない。クリプキがそう考えていたように、名付けは行為としてのみあり、その名付けを正当とする根拠はその行為が事実として行われた、という事実性に依拠している。*1
 また、仮に別の観点から固有名と対応する個物について検討すると、用在性がそのものの本質を規定する、という議論へと接続できる。本という個物が、たとえその制作の過程において、ある一義的な目的を可能とするものとして制作されていたとしても、その個物は、それだけにとどまらない用在的性質をはらむ。これもまた単純な話だ。ある物質としての質料を持っている本は、それをシートの代わりに地面に置き、その上を座ることも出来るし、また本は紙という可燃性の物質によって出来ているため、暖をとるためにその本を燃やし、その火によって身体を暖めることもできる。

 問題は、わたしたちにとって本が、ある一義的な目的のために名前を与えられているが、その名前とは別の形で本を「使用」するとき、それでも本が、その物質的同一性とおなじような同一性を持ったものとしてそこにあるということを、どのようにして了解すればよいのか、ということである。これは、生成の途上で多様な役割を持ったものとしてある本が、絶えず物質的同一性を持っているのに対し、そのほかの同一性の面で、それは変わり続けていっている、ということを意味するのだろうか。
 とはいえ、目の前にある物質が、「本」というカテゴリーも、個物としての固有名である「精神症候学」という名前も持たない、すなわち言語的な意味文節の埒外にあるものだとしたら、どうだろう。まるで自動車をはじめて見たときの古代人のように、白人種をはじめて見たときの未開人のように、わたしたちの経験世界のなかには存在しないものが突如として現れたときに、われわれがいかにしてその個物にカテゴリーを与え、階層的な名の秩序のうちに位置づけることで、自らの経験世界の内側に取り込んでいくのか。それとも、いっさいの名付けを拒んでしまうような個物というものは果たして存在しないのだろうか。

 たとえば、わたしは目の前の「精神症候学」を、本であることとは忘れ、新たな名付けを試みようとする。この物体には、厚みがあり、いろんな角度から捉えたとしても、ある立体的なものとして存在している。形態的に見れば、この物体はの直方体であり、わたしが眼をつぶっているときも、手で触れればそれはまだあり、わたしが手で触れないときも、それは目で見えており、すなわちわたし自身の一つの感覚知覚に依存した形で存在しているわけではないらしい。とはいえ、まだ本というものの存在を知らないと仮定されたわたしは、おそらくこの物質が自らの知る植物や海洋生物とは別のもの、誰か人の手で作られた人工物(生きていないもの)であることを理解し、そして、これが「いかなる目的や役割を持ったものなのだろう」と推論をはじめるに違いない。そこにおいて、わたしははじめて目の前の人工的な物質が、その紙を一枚ずつ破って燃やすだめではなく、わたしの視覚の機能に従って文字が配列され、ある特定の知識がそこに書かれている文字によって示されている、ということをおぼろげながらに理解したのち、その機能をほかの諸物の持っている機能から区別する形で、まずこの物質の機能面でのカテゴリーを考え、そして次にこの目の前の本の固有名を考えることとなる。
 
 さて、実のところ本題はここからである。
 わたしははじめに、語と対象とが一致しているとはどういうことかを考え、やがて語が往々にしてカテゴリーを示しており、個物を示すさいには固有名が必要とされること、等々を論じ、その対象の固有名は対象の創造者による「名付け」という事実的行為を根拠としており、他方でその対象は用在連関においては多様な機能を果たしつつも、物質的な同一性をもったそれは、最終的にそれを使用する存在にとっての一義的な目的によって、カテゴリー自体が規定される、ということを大まかに論じた。
 問題はその次である。わたしたちにとって、名付けようのないものとは、固有名を持たないものではないだろうか。以前書いた拙文*2のなかでは、その例として、「目の前の壁、砂利」などを例に取った。確かに、それは全く名前の持たないものではない。玄関を開けると見えるアスファルトで固められた物質は、「壁」と言われるし、たばこを吸うときに灰を落とす石の集まりは「砂利」と呼ばれている。先ほども問題にしたように、ここでの名は主に類を指示している。そのため、個物というものが問題にならない。ゆえにわたしのなかに「了解不可能な分からなさ」が生まれてしまう。
「本」と違い、わたしがおそらく語と対象との一致等々の問題において問いを立てるのは、このような対象物と名の関係なのである。私的な話だが、わたしは、昔から今自分が行る場所がどこなのかがさっぱり理解できずに、すいすいと地名を覚えられる人には驚きを覚えていた。この場合、わたしは場所という不定形なものと、一つの語が対応するということが、理解できなかったのである。
 それは何「である」か。引き続き壁や砂利を例に取ると、まずそれは人工物だろう、誰か人が作ったものだ。なぜわたしの家の前には壁があるのか?わたしの家の目の前は公園になっていて、その公園からわたしの家が丸見えになってしまうから、壁があるのだろう。そのような「一義的な機能」を持ったものとして、壁がある。だが、壁はわたしに別の疑問を抱かせる。仮にその疑問を「分割不可能な実体物への名付け」としてみる。本やテレビといった諸物が、わたしにとって名詞と相性がいいのは、それらが空間の内でわたしの知覚可能な大きさのものとして、他から分離しているからにほかならない。それは他の物質とのあいだに連続的な関係を持っておらず、何らかの形で分離していることで個物として存在している。しかし、壁はそのような仕方で他から分離しているだろうか。何かしら、そこには連続的なものとして、すなわち地面に打ち立てられ、のっぺりとした外形を持ち、そして運動しておらず、何よりも人間の知覚経験のうちに収まりきれない。

 もう少し丁寧に見ていく必要がある。
 砂利の例は一旦省き、壁にだけとどめよう。もしかりに、わたしの玄関を出てすぐのところにある壁を、ある他から分離した特定のものとして名前を呼ぶ必要が生じたとき、わたしはそれを、「玄関を開けたらすぐある壁」や「公園とアパートを隔てている壁」というふうに呼ぶ。このとき、わたしは対象の固有名を呼ぶのとは別に、目の前の対象が、他の対象とのあいだで形成している「関係性」を指示し、その関係性のうちにある対象として、目の前の壁を指示する、という手続きをとっている。(ベイトソン
 だが、その関係性を通じた命名は、その関係性が持続している限りにしか、有効ではないのはもちろんのことだろう。わたしがこのアパートから引っ越してしまえば、「玄関を開けたらすぐある壁」という呼称はもはや成り立たないし、公園が潰されてマンションが建ったとしたら「公園とアパートを隔てている壁」という呼称は成り立たない。ゆえに、関係性に根ざした対象の名は、その関係性が変化することによって、名前自体を変化させていかなくてはならず、仮に「名の同一性」というものを想定するなら、その壁には名の同一性はない。付け加えておくと、「壁」は、やはりカテゴリーであり、わたしの目の前にある「この壁」というときに、その個物としてある壁を名指すことが出来ていない、とわたしは考える。ここから、幾つもの議論を接続することが出来る(廣松)。対象を名指す語は、それが呼称された途端に、ある不死性を獲得する。たとえば目の前の壁や、あらゆる場所にある壁というものがすべて破壊されたとしても、「壁」という語自体は死滅することなく残る。目の前にある対象が、語が名付けられる以前の対象だとしたとき、そこに立ち現れるものは、不定形で本質を持たない謎のものであり(サルトル)、そうした剥き出しの存在に耐えかねて、我々は名付け行為を通じて、世界の安定化を図る(中井)。また、ハーマンはオブジェ志向存在論のなかで、対象が無限の可能性を秘めたものとして、相関主義的な人間の認識に由来しないものであり、その対象の無限性は常に認識主体の認識から「退隠」しているもの、と考えられる。

 こうも言えるだろうか。壁というものが、時空の持続のなかで生まれてきたとき、その壁が生まれる以前にも、それを作った制作者は別の壁を通じて壁の観念を獲得しており、互いに物質的にかけ離れた世界中の壁は、その「壁」という観念が生み出され、それが再現されていくリレーのようなものとしてある、ということも出来る。(これは壁というものの起源が、目の前の壁というものにまで連綿と時空を越えて継起していることを指す)
 ここで、わたしのアパートの前にある壁という例を取り外し、もっとわたし自身の関心へと近づけていこう。わたしたちの生命環境を構成する時空のうちには、量的に無数ともいえるものが存在している。それらを数的に捉えるためには単一の単位(数的記号)にまで還元しなければならないが、ものの数は通常、そのものの性質に従って単位を持ちうると考えられるため、洋服と本と床を同じ「一個」として数えることは、どこか不自然さが残る。ここで、その無数のものたちは、そのほとんどが固有名を持たないものとして、複数のものや主体や環境とのあいだで関係性を有するものとしてその時々に名前を付けられている(わたしが今居るところは、何々通りの、何とかというお店の前で、番地は何々で・・・)。たとえば今わたしがいるアパートのなかでさえ、床があり、段ボール箱があり、本棚があり、ペン立てがある。たしかに、わたしはそれらのものへと「志向性」を向けたとき、それらのものは、他から分離したものとして、指示されることが出来る。しかし、テーブルは床の上に接し、その上に事典やコップとが配置されており、本の下にはポストイットが差し込まれ、そのポストイットの隣には筆箱があり、床といってもテーブルの上にある床とは別に、台所に行くと冷蔵庫や本棚に接している床があり、その冷蔵庫の上には電子レンジが置かれ、その電子レンジの上には調味料を入れたカゴが載っている。このように、宙にただ一つの本が浮かんでいて、目の前にただ一人の人が建っているというわけでもなく、様々な単位によって無数の数え方があるようなものが、それぞれある配置関係のもとで、他のものと多様な関係を持っているとき、それらの関係性を包括的に呼び習わす名前が、果たしてありうるのだろうか。雑駁に言うならば、ものの複雑さに対して、名前はそのものの性質を捉えきることがない。
 そのような仕方で物質としての対象が存在し、そして言葉というものがそれに名付けられている。そうしたとき、(すくなくとも)わたしはこの複雑な関係性を織りなしているものの秩序のなかで、それらの秩序の全体性を捉えきることなく、部分的にそのものに名前を与えることに止まる。

 また別の例を言えば、地図は、実際の空間のうちにある単一のパースペクティブによっては記述されず、その空間の配置関係を鳥瞰したときに得られるような関係性を、平面図に書き記すことで、空間を文節化して、その平面図に照らし合わせて個々の空間に番地が与えられ、言い換えれば「名付け」られている。
 量子物理学の例でも挙げたように、また関係性を名の代わりとする例でも挙げたように、このような名付けには、ある方向性が与えられている。地図という空間の配置関係が絶えずその瞬間での普遍的な関係性を指示しているとしても、仮に量子物理学のいうような物質の普遍的な秩序からすれば、そのように空間配置を考えるときに物質を粒子以上の固体だとすること自体が、すでに見誤りだろう。ここにもまた、主体との相関性徒の関係でものの名付けが行われている。
 このような「もの」は、アリストテレスのカテゴリー論からすれば、その最上類は「存在」である。存在は、それ自体が何の性質にも依存しない実体であるから、このようにわたしの感覚知覚を通して種々の仕方で名付けているものの名は、そもそも不適当なのかも知れない。

1、言葉は音素の集まりではなく、何らかの「意味」であり、特に名詞は対象を指示している。
2、対象は先験的な観念ではなく、時空内部での知覚経験の総合により、「同一性」を持ったもの捉えられ、次にその対象の一義的な機能(形相)とによって、名が与えられる。個別の音素の集合と意味とのあいだには絶対的な法則は存在しないが、一度何らかの形で発生した音素と意味の一致は、ある程度の時間、発話者たちによって維持される。
3、量子力学等の自然科学が提示する物質観は、その真偽は問わず、一義的にものの名前に妥当するわけではない。なぜなら、我々は量子力学の想定するような物質を知覚することが出来ず、我々の経験世界は我々の知覚に合わせて対象にも名前を付与している。故に、本を「本」と呼ぶことは、発話する人間存在にとって有意味である。
4、対象は、大抵カテゴリーとして名付けられ、個物に純粋に対応するのは固有名だけである。
5、類の名が、相互の類とのあいだで一義的な形相によって名付け分けられるのに対し、固有名は「名付け」という事実的行為をその根拠とする。
6、対象はその一義的形相とは別に、用在連関のなかで多種多様な「使用」が行われる。これは物質的同一性とは対比的である。
7、未だ名付けられていない対象と遭遇した場合、まずその対象を複数の知覚によって検討し、それがどのような質料であるのか、それが人工物か自然物か、それがいかなる目的因を持っているのかが検討され、そうした探索行為を経て、対象はすでにある名付けられているものたちとの連関のうちで名付けが行われる。
8、壁が了解不可能なものとして現れるのは、それがある固有名を持たないこと、またその対象が人間の知覚において他の対象から分割された個物として存在しておらず、「分割不能な連続体」として捉えられるためである。
9、壁を名指す場合、それは名指しの主体との関係や、その壁の想定されている空間内部での機能関係とを名指す形で、つまりその対象の関係性を名指すことにより、名指しが遂行される。
10、廣松は語が対象と対応しながら、対象が生滅するのに対し語は不滅であると考え、サルトル-中井はどのような語とも対応していない対象は経験世界の秩序を破壊するものと考え、名付けはそうした世界を安定化させるものと考える。ハーマンは認識主体との相関とは関係なくある対象は、無限の可能性を持ったものとしてあり、認識主体との相関において、対象は「退隠」しているという。
11、人工的な個物は、それが時空のうちにいまだは発生していない状態においても、別の時空のもとで存在している対象の観念を制作者が獲得していることにより、異なる時空においても再現可能である。つまり時空のうちで最初に発生した人工的対象は、その観念が制作者たちのあいだで連鎖する限りにおいて、その対象の起源まで時空を越えて連続している。
12、時空のうちに諸物は、直接的に同一の数的記号には還元されず、ある単位を通じて記号化される。
13、諸物は相互に無数の関係性を構成し、そうした諸物の相互関係の複雑さに対し、それに対応させられる名は単純なものに止まる。
14、空間の同一の配置的相互関係を記号化した地図は、認識主体のパースペクティブに由来せず、認識主体のパースペクティブを機能させる経験的な地平として、鳥瞰的なパースペクティブにのみ記述される。

 

[後述]
 この議論全体はあらゆる面で稚拙さが残るものの、加筆訂正はせずそのままの形でアップすることにした。


*1 このクリプキの『名指しの必然性』を念頭に置いた論理展開は、主に二次文献の耳学問によるもので、適切な議論とは言えない。
*2 これは私的に書いた文章のなかで用いた例のことを取り扱っている。

デモにまつわる自伝的テクスト

 

 今から一年と少し前だろうか、二〇一五年の夏、私を含めて多くの人々が集団的自衛権の行使を容認するか否かについて真偽を問う議論が、そこかしこでお湯が沸騰し、その表面が熱によって泡立つように盛上がっていた。連日の各種メディアによる報道、国会の審議、プラカードを頭上高く掲げて街頭を練り歩く人々、大学や弁護士連盟といった各種圧力団体による声明、ネット上に行き交う言葉。わたしの確認した限りで多くのリベラル左派知識人が、こうした現政権の動向に対して何らかの否定的な判断を下しており、その否定的な判断とする根拠にもそれぞれ種々の角度によるものがあったが、そのすべてを仮に総合したとしても、そこには明々白々な説得性があり、よほど際だった論点がそこで見いだされない限り、集団的自衛権の行使容認に関する議論を肯定的に受け止めるような言説を見いだすことは、わたしには出来なかった。あのとき、わたしはプロテスタント教会の信徒である同い年のひとに誘われて、大学生が組織する安保法制に反対する市民団体に入った。
 それは意志に基づいていたというより、ほとんど偶然に近い出来事であり、真面目なものというよりはむしろ間抜けで拍子抜けするような顛末だった。わたしもあの発熱するような議論の渦に飲み込まれて何らかの危機感を抱き、以前デモに参加してから半年から一年あまりの時間が経っていたものの、市街地の中心部で行われている安保法制反対デモに参加した。その安保法制のデモに参加した後日、わたしが通っている教会の同い年の大学生から、今日、若者の政治についての集まりがあるんだけど、来ない?と言われた。そのひとはわたしが行った安保法制のデモも居た人だった。どこにでもいるような大学生に見えるそのひとは貧困の問題からジェンダーの問題、福祉、平和、マイノリティの問題まで広く我が事の問題として考えていて、その自分自身のことの延長線で社会事象に対してリベラルな考えを持ち行動に移すそのひとに対して、わたしはほのかに敬意の気持ちを抱いていた。決して党派的な人ではなかった。そうした人柄を信頼していることもあって、わたしはそのひとの誘いを受けてそれから数日後に市内のとある駅前で待ち合わせて、その若者の政治の集まりに行くこととなった。わたしとわたしを誘ってくれた人が約束された場所に行くと、ビルの一角の中にある会議室を借りた法学部の学生はまだ来ておらず、何人かの本当にどこにでもいそうな二、三人の大学生がそのビルの前に居た。各々に別々のジャンルの洋服を身に纏ったまだあどけなさの残る顔のわたしと同い年の彼女ーー最初にその集まりに参加したとき、そこにいた人のほとんどが女性だったーーたちは互いにほとんど初対面に近いらしく、わたしたちの顔を見て彼女たちはわたしたちに向かって会釈をしてそれぞれに自己紹介をはじめていた。法学部の学生ーー彼は男性だった。そのとき居合わせた人々の中でわたしのほかの男性は彼だけだったーーがやっときて会議室の中に入り、市民団体設立についての話しを始めたとき、わたしは一瞬なんのことか分からずぼおっとしたあと、それから数秒後に文字通りギョッとした。予想外だった。わたしの脳裏には近頃マスメディアなどで騒がれていたSEALDsのデモの様子や演説の様子などが浮かんだ。あぁ、これは「あれ」の集まりなのかとわたしは思った。そして会議室の椅子に座っている人達が真剣な顔つきで彼の話しを聞いている横顔をわたしはひそかに盗み見て、この集まりが市民団体設立の集まりだということを知らなかったのはおそらくわたしだけだ、ということをわたしは知った。それぞれ正式になぜこの市民団体設立に参加しようと思ったのかの動機を順々に述べていくなか、わたしはなんと答えればよいのか分からなかったがとにかく何かを言ったはずだった。しかしその内容は忘れてしまった、忘れても仕方のないようなことを確か言ったはずだった。わたしには安保法制の問題に対して反対する意見は幾つか持ち合わせていたものの、市民団体に参加するということへの意見を持ち合わせているわけではなかった。その集まりが終わったあと、今日の夕方から始まるデモに参加して最後に若者の市民団体を設立することを宣言しようという話しになり、わたしたちは会議室の外を出てデモの集合場所である市街の中心地にある公園へと歩いていった。歩きながらすぐわたしはわたしを誘ってくれたひとについて今回のことを問いつめると、あれ、言ってなかったけ、とそのひとはやや間延びした声でそう言った。言ってなかったよ、とわたしは思った。
 市民団体に加入したといっても、その後わたしは団体運営にも諸々の役割ごとにも関わらなかった。デモ当日の演説や政治集会での演説はもちろんのこと、いろいろなところで行うビラ配りにも参加せず、会計・機材の管理・これからの方針・日程のチェック・広報・デモ当日の隊列配置等々を決める会議にも一度も参加しなかった。わたしはただ当日のデモに参加して貸し出しているプラカードを配り、リズム隊の一人としてドラムを叩き、終わった後の募金集めをし、後片づけをすこしだけ手伝ったあと、お疲れさまでしたといって帰った。来ている人と個人的に話すこともなかった。なぜか、そこでその人たちと話しをすることには躊躇いがあったし、デモに参加することに比べて積極的にそうした市民団体の活動に参加する気持ちにはなれなかった。あるときのデモの前時間にわたしが集まりの隅で所在なさげに立っていると、途中から参加していたメンバーのうちの一人がこちらへと近づいてきて初めましてですよね、とわたしに向かって話しかけた。わたしはやや苦笑しながら、初めましてじゃないですよ、何回かご一緒してます、と言った。わたしの市民団体のなかでの存在感はその程度のものだった。


 わたしは、特に政治や社会について関心が抱いていたわけではなかった。子供の頃からわたしの両親は自民党政権によって何かしら直接的な利益を受けているということでもなかったし、わたしの生まれ育った町の住民が軒並み自民党支持者という保守的な場所であったわけでもなかった。そもそもわたしの生まれ育った場所は三十年ほど前に宅地造成で切り開かれた郊外で、伝統いうほどのものなかった。にもかかわらず親は二人とも共に自民党支持者だった。家の中で特に政治についての会話がなされていたわけではなかった。その点で言えばわたしの両親は日本の国民の多くがそうであると予想されるような意味で限りなくノンポリに近い感覚を持っていた人だった。わたしのほうも特に政治の話はしなかった。家族は近頃始めた自営業の経営に日々を忙殺されていたし、わたしはわたしで何かしら考えなければならないことがあり、やらなくてはならないことがあったため、そうした日々の中でマスメディア上で交わされている政治の議論はどこかしら遠いもののように映っていた。しかし、デモに参加するようになってすこし経った頃に、実家に帰ってテレビを見ているとちょうど安保法制に関する審議の映像がテレビに映り、総理の答弁をしているのが見えた。母は国会で答弁する総理の顔をじっと見ながら、わたしがマラソンで走ったとき総理の奥さんがね、がんばれーって声援くれたことがあったんだよね、安部ちゃんも今いろいろ頑張ってると思う、と言ったのを聞いて、わたしはなぜか何も答えられなかった。それからわたしは今後家の中でたとえ親が政治の話しを口にしても、自分のほうからはなにも言わないでおこうと思った。デモに参加するようなわたしはこの家の中に居ないわたしだった。
 市民団体といっても子供の頃から民青に入っていわゆる「共産党支持者」として左翼的ーー「リベラル」ではなくーーな政治活動を続けてきた人というのはそんなに多くなく、というよりもまったくいなかった。いたとしてもわたしはメンバーの一人一人と個人的に話すことがなかったので分からなかった。漏れ伝え聞くところによればメンバーのうちの何人かは大学の急進左派的な教員に「オルグ」されて活動に目覚めたり、またメンバーのうちの何人かはリベラルな親の考えに影響を受け、またそれよりももっと少数のうちの何人かは新聞やテレビの報道を見て違和感を感じるようになった人達だったらしかった。そうした学生は去年の夏頃、日本の諸都市に数多くいたはずなので、わたしが出会った彼らもまたそうした人々のうちの何人かだろうとわたしは思った。団体の中心にいた学生のうちの何人かは、釜ヶ崎の炊き出しに行き、水俣の取材をし、沖縄の基地移設問題の座り込みもし、原発反対の集会に出ていた。もちろん国会前にも行っていた。彼らは毎週末どこかしらに飛び回っていた。学校は大丈夫なのだろうかと思わないでもなかったが、そんなふうに毎週忙しなく長距離移動をするひとを見たことがなかったので、そうした活動の報告がLINEを通じて流れてくるたびに、わたしは目を丸くしていた。そうした安保法制に反対するデモを主催する市民団体のメンバーのうちで、意外だったのはプロテスタントのクリスチャンの人達がそれなりの数いたことだった。キリスト教系の大きな私立大学が県内にあったためか神学を教えている大学教員や教会の牧師や信徒の人達がデモに参加していることも多かった。そうした人達に会うたびにわたしを誘ってくれたひとはその人たちに会釈をして、近況について話し込んでいた。ほとんどが知り合いのようだった。わたしは数年前からプロテスタントの教会に通っていた。主にシモーヌ・ヴェイユの諸テクストや内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」、「イザヤ書」や「ヨハネ福音書」や「ヨブ記」などの新旧約聖書などを通じてキリスト教への信仰心を抱いていたわたしは、二〇一四年辺りの夏からプロテスタントの教会に通っていて、教会のなかにはリベラルな考えを持っているひとが多く、わたしは、現政権の政治に対して明確にNo!を唱える人々をインターネットや書物以外でこんなにたくさん実際に目にしたのは、生まれて初めてだった。
 最初に行ったデモは秘密保護法に反対するデモだった。まだ市民運動がそこまで盛り上がっていなかったので、集合場所の公園を調べて行ってみると広い公園の隅でのぼりを掲げているひとが十数人から二十人ほどいたが、どことなく近寄りがたい印象を受けて十数分その公園の周りをうろうろと歩いたあと、意を決してその一群の中に加わった。若い人はわたしのほかに一人だけしか居なかった。そこにいる多くの人が様々な活動をしている、いわゆる「活動家」と呼んでも差し支えないような人達だった。わたしは声を出してシュプレヒコールを上げることはなかったものの、プラカードを掲げて道路を列になって歩くことは慣れればそこまで抵抗は感じなかった。ただ歩いて、人々が奇異な目でこちらを見つめているのを澄ました顔で無視して歩く、いわば散歩のようなものだと思った、そしてそう感じるぐらいには、幾分冷めた気持ちでもあった。わたしは昨日まではわたしを見つめる人々と同じようにあちら側で歩いていたはずなのに、今はこちら側でこうして歩いていた。わたし自身のうちに起こる変化とは別に、わたしは街路で別の生き物のようにして生きてしまっており、そのことの不可解さがわたしのうちに残った。その秘密保護法のデモに参加したとき、活動家の人達は若い人が来てくれることを意外に思ったのか、終わったあとに声をかけてくれた。それから紹介されて辺野湖の基地移設問題に関する街頭アクションに参加し、反原発の集会に行った。だが段々と足は遠のいて、いつしか行かなくなってしまった。一度、市内にある大きな書店に行った帰りに、通りを歩いていると偶然一度だけ参加したことのある辺野湖基地移設問題の街頭アクションにでくわしたとき、わたしは驚きそして反射的に後ろを振り向いてその場から離れてしまった。何故その場から立ち去ろうと思ったのか分からなかったが、どこか胃のあたりが重たくなったような気がした。
 それに比べれば、あの夏の安保法制のデモには本当に何度も参加した。秘密保護法のときとは比べものにならないくらいたくさんの人がプラカードを掲げて都市の中心的な街路を練り歩き、機材で音楽を鳴らしながらリズム隊がドラムを叩いてシュプレヒコールのリズムを取る。先頭では新聞記者の人達がカメラを構えており信号が青になると一斉にシャッターを押すせいで、わたしは眩しくて前が見えなかった。この写真が明日の地方新聞の社会欄に載っている映像をわたしは想像した。最終地点である公園に帰るとニュースキャスターがカメラの前でそのデモの状況を中継していて、団体の運営に携わっていたひとが最後のシュプレヒコールと終了するにあたっての言葉を述べると、拍手がそこかしこで聞こえた。時には興奮が止まらなかったのかいつまで経ってもシュプレヒコールが止まらず、もう公園に着いてあとは解散するだけなのに円になってそのまましばらくのあいだ速まっていくコール&レスポンスが続き、わたしはめまいがした。デモが終わると、待ちかまえていたように取材記者が運営の学生たちを取り囲み、彼らが今何を思ってこのような行動を続けているのかについての彼らの言葉を聞きたがった。わたしも一度だけ赤旗の新聞記者から短いインタビューを受けた。現政権の安全保障上の議論についてどう思いますかと問われ、憲法審査会でも違憲と言われ、憲法学者も軒並み今政権の法案は違憲だと言っています、なのでわたしはこの法案が通るのはおかしいと思います、というようなことを答えた。咄嗟の質問にどう答えてよいか分からず、本当に自分がそう思っているかどうかは分からなかったが、そういうふうに言われていることは知っていたし、わたしもそれに同意できるような気持ちがないわけでもなかった。ただ、そう答えたあとに腹のあたりから口元まで裂けてしまいそうな気がした。

 一度だけ、スピーカー越しにシュプレヒコールを上げることもあった。する人が誰もおらず立ち往生していたので、わたしがやります、といってやった。あの一年前に人々がうんざりするほど聞かされてきたーーどんな言葉も何度も繰り返し聞かされるとうんざりするものだーーSEALDsコールをわたしもまたしていて、音響装置によって増幅されるわたしのシュプレヒコールは、まるで自分の声ではないみたいだった。音響装置越しに聞こえるわたしの声はあの国会前のシュプレヒコールと寸分違わず、それなりに力強く声を上げていたものの、その声の力強さには、どこかおかしみのようなものを感じ、そしてやがて自分の身体が内側から、鈍くて固いものが芽生えてくるような感じがした。そのシュプレヒコールを挙げたときが、わたしの最後のデモに参加した日だった。
 国会前のデモがそうだったように、法案が可決する間際になると、更にデモの雰囲気は加熱していた。市民団体のメンバーはあちこちでビラを配りに行き、いくつかの大学には安保法制反対に対する立て看板が立てかけられ、様々な集会でメンバーの何人かが演説をする映像がYOUTUBEでアップされていた。団体のなかで様々な事柄に対して会議する機会も増えて、市民団体のなかで共有されているグループラインもあっという間に通知が膨れ上がっていた。通知が来るたびに確認するのがいやで、わたしは通知が鳴らないように携帯をサイレントモードにした。その通知は深夜に及ぶこともあったので、通知が気になって眠れなくなってしまうからだった。そのうち市民団体全員で共有するグループラインとは別に運営だけで共有されているグループラインが作られた。それでラインの通知は少しは収まった。わたしは通知をオフにすることをやめて、それでもかなりの量の通知が来ていたが、わたしはもうあまり気にしなくなっていた。
 それからあの衆院特別委員会での与党単独の強行採決が行われる日がきた。わたしもそのときは国会前デモの中継はネットを介して見ていたし、同時にパソコンの画面を二窓にして国会運営の中継も見ていた。法案が可決する当日の国会中継で議員が答弁を続けようとしている間際、それを遮って法案の可決を認める宣言を始めた委員長に対して、ネットの中継画面には拍手を示す記号が一斉に現れた。わたしはそのとき何が起こっているのか分からず法案の可決が延期になったのだと思ったが、国会の野党の議員の野合の声が響き渡り、わたしが見慣れたプラカードを掲げた野党議員たちが周囲を取り囲み怒号を強めるにつれ、これはそうではないのだと思い直さなければならず、まるでわたしは狐につつまれたように奇妙な気持ちであっけにとられ、そしてなんだか自分が滑稽なように思えた。最後の最後までわたしはこの一連の運動からボタンが一つ掛け違えたままだった。風船の空気が抜かれ、徐々にしぼんでいくような様子をわたしは想像したが、それが何を意味する感情なのかは自分でも分からなかった。そして、そののちに絶望と怒りが足元を揺さぶるように湧いて出てきていた。しかし、わたしにはこの法案可決それ自体に絶望と怒りを感じているわけでもなく、自分に絶望と怒りを感じているわけでもなく、とにかく絶望し、そして怒っていた。グループラインのなかではその採決を見ているメンバーたちの抗議が次々とアップされていた。わたしは何もアップしなかった。その翌々日あたりに、そのグループラインのやりとりは、何かしらの雑誌媒体に載ったようだった。携帯を投げつけてしまいたかった。
 その政治団体を脱会したーーといってもグループラインを抜けただけだったがーーのは、今年の総選挙の結果が決まった翌日だった。そのころになるとわたしは集会にもデモにもほとんど通っておらず、グループラインから流れてくるメッセージはほとんど見ずにそのまま消した。わたしの選挙区では争われている最後の議席公明党候補者によってほとんど決まっていたが、戦略的投票のコードにしたがって共産党候補者に投票した。ただ知り合いに積極的に選挙について会話をすることはあまりなかったし、SNS上で「オルグ」をかけることもなかった。

 先日、わたしは何かをツィッターで検索していた。時系列を遡ってスクロールを続け、何気なく流れてくるツィートを眺めていると、思わずハッとしてしまった。それらツィートのなかで去年の夏のころのツイートが検索ワードに引っかかり、そのツイートの末尾には「#本当に止める」のハッシュタグがついていた。まるで高速道路を運転している際に、子鹿が前に飛び出したときに感じるであろうようなような感覚が、わたしを襲った。それは過去のわたしの亡霊だった。だが、わたしはその感覚が徐々に別のものになっていくのを感じた。亡霊なのは、誰なのだろうか。本当は、そのツィートをまなざしている「今ここにいるわたし自身」のほうが亡霊なのではないか?そうした懐疑が大きくなるにつれ、鏡のなかに映る自分が、いつしか本当の自分になってしまうように、もしくは自らの影がわたしから切り離されて反転し、いつのまにか、わたし自身のほうが影になってしまうような感覚が、わたしは覆っていった。

 

「私はこちらにおり、もうひとりはあちらにいる、そして沈黙は恐ろしい」ポール・クローデル
「闇」(Tenrbres)

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「関心」について

「関心」の問題、あらゆる事物の存在は、それが仮に「在る」のだとしても、それを受け取る「私」自体が塑造されていなければ、それはなきに等しい、といったときに、ではいかなる形で、私らはそうした「関心」を、どの程度までに拡張す「べき」と言えるのだろうか。つまりそうした「べき」を裏付ける倫理は、どのようにして樹立されるのか。そもそもそうした関心は事実問題として考えられるのみで、本質的な問題とは言えないのか。

事実として、それは、わたしに対して関係の無いものになってしまっているということがある。たとえばわたしに隣人がいて、その隣人の顔も見たこともなければ、本当に隣に隣人がいるかどうかも定かではないとする。わたしはそのとき、隣人の存在を意識していない。だが、唐突に隣の部屋から喧嘩がはじまったとき、わたしは、今まであったであろう隣人の存在を、隣人の喧嘩を通じて、隣人の存在それ自体を「在るもの」として「現出」させてしまう。言い換えれば意識してしまう。(心身哲学的に言えば、それは「志向性」の議論になる?ブレンターノか)

このときわたしは、その突如として意識してしまった隣人の存在に対し、あくまでも行為の面で、その隣人と関係を取り結ぶことを意図するわけではなく、ただその瞬間に現れ出た隣人の存在を、いかなる意図とも無関係に、意識だけしていることとなる。いうなればわたしはここで発生した隣人の存在を、わたし自身の行為の連なりのなかで、全く何の意味や方向性さえも付与されておらず、行為が宙吊りになった形で、わたしは自らの主観的世界に突如として現れた隣人を、ただ意識するだけだ。

これは、奇妙な現象だとはいえまいか。現象として現れ出たものが、何らの意味付与さえもされず、特定の関係様式がそこに取り結ばれることもなく、他者として現出してしまう。意味付与や関係様式との無縁さから、その隣人の声(喧嘩する声)は、聴覚刺激としてわたしに知覚されたのち、わたしの感情を伴った「感覚」のうちにとりこまれていくのだが、さしあたりいかなる感情がそこにはふさわしく、また自然だといえるのかと考えたところで、快不快や喜怒哀楽といった幾つかの代表的な感覚はもちろんのこと、突如として現れたその隣人が、特に私に向かってコミュニケーションを取っているわけではない(壁越しに聞こえている声は、わたしに向けられているわけではない)ため、わたしはいかなる感情を抱くこともできない。むしろ、わたしはそうした意図や欲求や感情を欠いた形での隣人の現出への戸惑いを覚えてしまう。そして、何故隣人の喧嘩の音は、わたしにとってそのほかの知覚から弁別され、固有の輪郭を持ったものとして現れ出てきたのかについての、何らかの根拠を見出すための推論を行うことで、わたしはその経験を了解可能なものとしようとする。

何故だろうか。街中で同様のことがあったとしても、わたしはさして関心を持たなかったことだろう。おそらく問題なのは、その場で起きた喧嘩それ自体なのではなく、今まで存在していたはずの存在をわたしが意識しておらず、いわば非存在同様のものとして認識していた壁の向こう側から、突如として、喧嘩という役割的なものとは異質のコミュニケーションが立ち上がったことであり、その意表さ、同時にそこに「ひとがいたのだ」と反省(reflection)を通じて、今まで非存在として認識していた空虚が、突如として充溢した他者の場に変容してしまったことの、何とも言い難い違和感が、わたしを戸惑わせるのだ。

壁の向こう側には、誰がいるのかも分からない、ゆえにその向こう側には誰もいないものとして過ごしていたのが、そこに現れ出た存在を意識してしまうことで、わたし自身の空間が、別の存在も含まれている空間へと、変容してしまう。だが、わたしはここで他者の対象に転化する「まなざし」を受けていたのではない。わたしは上の例にあっては、むしろわたしはまなざしている側にいる。だが、そのまなざし自体を(つまりわたしの側の志向意識自体を)、隣人は知らないのだ。わたしの意識はそこで孤立してしまう。そして、いわく言いがたい違和感だけをわたしは感じる。このようなものとして、「関心」の問題がある。

ところで、わたしの関心はそう長くは持続しないだろう。先の例を引き続きをもちいるならば、隣人の喧嘩も止み、またいつもと同様に辺りは静かになり、わたしはその顔も見えない隣人の存在を、やがてまた意識せずに日常の生活を送っていくに違いない。

実のところ問題はここである。「関心」が現象の条件としてあるときに、その条件たる関心それ自体がまた受動的なものとして何らのものへも向けられないとき、また隣人の存在はいないも同然になってしまうのか。いや、そこにいることは分かったのだから、隣人は「在る」ものになった、というべきか。そうではないとわたしは仮定する。あくまでもそのように言われる「在る」ものは、「関心」が消長さえしてしまえば、「彼は存在する、ということが以前もあったため、おそらく現在も存在しているだろう」と推量的に指示してみせるよりほかない(会ったことはないんだから当たり前か)。わたしがその存在を意識し、わたしと同等のもの(感情を持ち、他者との交流を図るもの)として現れるためには、また「関心」という時空のうちで継起し、成立するようなものがなくてはならない。

もうすこしこの例を引きづりつつ、細かい部分を見ていこう。そのとき意識された隣人は、怒りを感じている存在、感情を声を通じて示している存在だ、いったい何故喧嘩をしているのだろうか、その喧嘩の相手は誰なのだろう、等々のことが、わたしの意識には上ってくる。だか、隣人がどこからやってきたのだろうかとか、収入はどうしているのだろうかとか、家族とはどんな関係にあるのだろうかとか、どんな価値を奉じているのだろうかといったことは、わたしの意識の埒外である。ただ、わたしと隣人のこのような関係をつないでいる隣人の怒りの声が、たとえばとても訛った声であったり、家族のことや収入について話していたりすれば、わたしはその隣人の来歴や家族関係や収入のことについても意識し、また自身のなかで勝手に想像を行うだろう。これは、一見してなるほどと思えるものの、よくよく考えてみれば不可解である。怒りの声は、突如としてわたしにその声の発し手である隣人の存在への関心を向けさせるものの、そこでのわたしの「関心」は、その隣人の生きてきた個々の内容については向かっていかない。

この問題を、すこし飛躍させてみるとこうである。「関心」は、その関心を向けている対象のあらゆる時空内部で起きている諸側面へと均等に降り注がれているわけではない。あくまでもその関心が発生したときの、限定された状況を通じて、わたしはその対象へと関心を向けている。そのため、わたしが関心を向けているのは、隣人という存在そのものではなく、隣人が怒りの声を発したという事柄のほうへと向けられ、次にその怒りの声が意味として分節化されることを通じて、その怒りの声という事柄とは別に、その分節化された意味に沿ってわたしの関心は移っていき、推論という形でわたしは与えられていない隣人の状況に関する情報を、自らの想像力で補完しようとする。また、わたしはそのとき今まで壁の向こう側に隣人がいるともしていなかったという理由で、隣人の現出に対して戸惑いを覚えている。つまり、このような「関心」は純粋なものであるというよりも、経験的な今までのわたし自身の壁の向こう側の認識と関連する形で、発生している。

「関心」は、それが現象のなかで何らかのものとして作用する限り、常に現在の瞬間という時制と関連しており、そしてそうした「関心」が構成されるような出来事が去ってしまった場合、そこで起こった現象はわたしにとって過去のものとなり、わたし自身からは切り離され、過去のわたしにおいて起きた出来事として、記憶のうちに格納される。また、「関心」はそこでの経験的な諸状況や当の対象がいかなる仕方で意味的に分節されているかによって作用が変わり、対象それ自体の全体性(存在そのもの)への関心といった場合には、むしろ経験的で意味的な要素は夾雑物のようなものとなる。

しかし、どうだろうか。隣人そのものの存在に関心を持つとは、どういうことだろうか。その声が、いかなる感情を示しているのでも、いかなる意味上のものとして分節化されているのでもない場合、その声は、確かに純粋なものであるかもしれない。だか、わたしはそのとき、その隣人をわたしの隣に住んでいる固有の存在としてではなく、存在しているもののうちの一つとして、ただ意識するだけではないだろうか。いわば、それはその隣人が発した声とは無関係に在るような存在としてのみわたしは意識する、ということになるのではないか。であるなら、それが時空のうちで起こった出来事であるということ自体も、さして何の意味も持たないものとして感じとられるべきなのだろうか。ならば経験的なものの欠いた地平で「関心」というものが作用するとは、いかにして可能であるというべきなのか。

「関心」が、知覚や意識と同等のものである場合、その認識能力の働きが「在るもの」をわたしに対して現出させるための、いわば現象の条件であるなら、そうした認識能力の作用が断絶する場合(わたしがねむっているとき)において「在るもの」は消滅する、というわけではもちろんない。このような極端な例を退けるために、睡眠とは別の例を考えるとするなら、それはむしろ眠りから目覚めた直後の経験だ。まだ睡眠時の感覚をひきづっているわたしは、目をこすりながらベットから身を起こし、起き上がって手洗いに行く。そのあいだ、わたしの意識はそうした日常性の反復のなかで働いておらず、何者にも「関心」を持っていない。特に障害にあたる何かがない(目覚まし時計を蹴っ飛ばしたり、隣に知らない人が寝ていたりしない)かぎりは、ほとんど自動的に身体を動かして、目を覚ますための準備を行う。このようなときにわたしの行う身体の運動は、決して無目的にあてどなく行われているのではなく、尿意や水を飲みたいという身体的な欲求を一種の目的として、ある程度組織化されている(うろうろしているうちに「あれ、何しようとしてたんだっけ」と我に変えることもある)。このよう睡眠から目覚め始めたときのわたしの行う身体の振る舞いは、果たして上の例で挙げたのと同じような「関心」が、その目的に対して向けられているといってもいいのだろうか。

この二つの例が対照を為すのは、前者はわたしに何らの身体の振る舞いも誘いかけておらず、わたしは自らが隣人の喧嘩を意識している、その自らの意識それ自体をも強く意識しているということであり、後者は、目的に向かって身体が動かされながらも、わたしの「関心」はどこへも集中的には向かっておらず、わたしは自身のことすらも全く意識していない。

とするなら、このように言うことが出来るのだろうか。「関心」がわたしにとっての「在るもの」の現象に対して重要な契機を果たす条件であるというのは、わたし自身の反復を通じて自動化された行為の連なりが一時的に停止され、その連なりのうちに「裂け目」が生じるときに、わたしの「関心」が何かしらの対象へと向けられ、その対象を同定したのち、その対象が「何であるか」に関する反省意識が次いで発生するのである。そこで最終的にわたしは自身が何かへと関心を向けているという、そのこと自体にも気付くことで、自らの意識に対して反省的な自覚が生じつつあることを実感する。

ここまでの提示された命題の幾つか役に立ちそうなものだけを圧縮するとこうなる。(ところどころ飛躍を含むんでいるかもしれない)

1.「関心」は「在るもの」がわたしにとって現象する際の条件である(もしくは条件の一部である)

2.「関心」は対象とのあいだで起こる経験的な事柄を通じて発生する

3.「関心」は対象の経験的な諸要素によって意味状に分節化されており、ある分節化された要素へと「関心」が集中する場合、対象の時空内部でのあらゆる要素はのみならず、対象を対象たらしめている性質そのものへと「関心」が向かうことはない

4.「関心」は対象それ自体だけでなく、対象との何らか関係性を持っている自ら自身との状況と関連しながら発生する

5. 3と4より「関心」が在るものを現出させるのは、その対象そのものではなく、その対象とわたしをも含む一つの「事柄(ないし出来事)」に対して「関心」が生起するからである(

6.「関心」なき状態において、対象はわたしの現象世界に現出することはないものの、かといって非実在となったわけでもない。(そのため、わたしにとってのフェノメナルな現出は、実在概念とは無関係なものである?)

7.「関心」が発生していない状態において、身体は反復化された自動性のうちで、そのときどきの目的に組織化される形で運動する

8.7より「関心」はそうした反復化され自動化された身体運動が停止するような「裂け目」としてある出来事への遭遇を通して、一挙に立ち現れる

9.「関心」は、最初は「裂け目」として、まだどこにその原因となる対象が存在しているかもわからず、次に対象を同定することで反省的にその対象についての推論が発生し、そしてわたしと対象を含む出来事のあいだで「関心」が発生したことを自覚するとき、わたしはその自らの「関心」の作用それ自体も客観的に意識することで、いわば「意識する自らの意識それ自体を意識する」

ここまでの論点は、いくらでも反証材料が見出すことが出来るようなものであるが、わたしがここで(暗に)力点を置いたのは「関心というものが時空のうちで発生し、また時空のうちで消長するとき、いうなれば出来事としてしかありえないというとき、その論点を肯定的に受け取るべきか、否定的なものと受け取るべきか」ということだった。また、どちらかといえば、ここで取り上げた二つの例は、あまりにも他から隔絶された状態での個体における「関心」の発生を論じているため、たとえその発生が自らの自明な秩序を打ち破る「裂け目」として考えられていたとしても、いささか不十分な感がある。冒頭の言葉を繰り返すが、もともと念頭に置いていたのは、どこまで「関心」というものを拡張することが「可能」であるか、言い換えればどこまでをわたし自身と直接的にではないにせよ、関係があるものとしてフェノメナルな世界に出来事を置くことができるのかという「可能性(様相)」の問題と、その「関心」の拡張はどこまで行われる「べき」かに関する「倫理設問」の問題だった。

最後に引用を少し。本稿では「関心=志向性」概念に引き寄せて主体のフェノメナルな世界に、対象が現出することは、主体と対象を含んでいる出来事がそれに先行しているのだ(そしてその出来事の原因にまで推論が到達したときに「現象学的還元」が起こり、自体分離が成立する?)、ということに対しいくつかな論述(もどき)を行ったが、ここでそうした「関心」の引き起こす当の現象、つまり先行する出来事が、「非物体的なものとして」でもありうる、と仮定すればどうなるか。マイノング(ないし野家啓一)の議論が思いつくが、「意味の論理学」におけるドゥルーズの論述を引いておく。

ストア派は、物体の厚みに対して、草原の霧(霧も物体であるからには、霧以下のもの)のように、表層でだけ上演される非物体的な出来事を対立させる」(意味の論理学:上23-24)

こうした論述に対し哲学者の千葉は下記の図を作成し、以下のように述べる。

表層→非物体的な:意味=出来事=情報

結果=効果

深層→物体 原因

ドゥルーズが用いている例ではないが、たとえば「雨が降る」という文によって表現される意味=出来事は事実上(de facto)、落下するモノとしての水滴ーーつまり水の分子、そして酸素と水素の原子以下の最小とみなしうる素粒子たち--を「原因」としている。その「結果=効果efect」としての出来事は、しかし権利上(de jure)、それとして、モノならざるものとして存在するのであり、原因であるモノへと「還元」することは出来ないとされる。(思想地図β vor.1:288)

劇場の上のコギト

 一年前に書いて友達に見せた原稿。彼は「オブジェクトに対立するのはサブジェクトじゃないか?」と言っていたが、突発的に書いたものということもあり、まだここで論じられている問題をどのように展開させていくべきかには、決着はついていない。

 

「劇場の上のコギト、小銃」
 デカルトのコギトは、その作用にだけのみ着目すれば、事象をオブジェクトとメタとして二つの次元に分割し、その相互的侵蝕をではなく、それ以上に次元が多数に分割することを防ぐための、装置として作用しているのではないか。この問いを様々な状況を通して考えるための一つの寓話として、ぼくが思い出すのは、チェホフの小銃の寓話である。チェホフはこういう。「もしも小銃が舞台に登場したら、それは必ず撃たれねばなりません」。

 舞台の上で用意された小銃は、本当にそれが用意されれば、撃たずにはいられないのか。むしろ撃つことができる可能性と、撃つことを実行する誘惑との緊張や対立が、小銃の持っている、必要最小限の持っている役割といえないか。つまり、小銃はその舞台のうえで何が可能で、何が可能なのか、何が自明で、何が自明ではないかの条件を基礎づける、と。だが、小銃はそれの役割の施行を促す法文書のような効力を持っているわけではない、もしも小銃にそうした役割があるようにみえるのは、それは我々がその小銃によって基礎づけられた可能性の条件のうちで既に行動しているからではないか。いいかえれば、小銃の役割は可能態の設立にある。

 確かに、チェホフのいうように、小銃が舞台に登場すれば、その小銃の機能は二つしかない。つまり、撃つか、撃たないかである。その機能を裏切る可能性、たとえば愛撫に、あるいは金槌の代理として使うことがあれば、そのとき小銃=コギトは、元々持っていたであろうオブジェクトとメタとに事象を分割する、それ自体のうちに持っていた権能を殆ど持っていない。これらの状況では、小銃=コギトはきっと別の名を持つことになるだろう。つまり、別の任意の分割点の一部として、オブジェクトに転ずるということだ。

 何故、これほどまで小銃には舞台の上で決定的な意味があるのか。それは小銃が機能を果たすとき、舞台の上では誰かが死ぬからである。この小銃という物を演者のあいだに置くことで、舞台の上にいる者は、この物によって自らは殺されかねないし、また殺しかねない。自らと他者の死をもたらす因果が、各々の目に見える形で、物質としてその場にあり、可能性としての出来事が、外化され、一つの物象になっている。それは未来における個々人の死を報せる不吉な手紙であり、また自らによる他者への、究極の関与の可能性を秘めた、世界の均衡点のようなものだ。それは舞台を支えていると共に、その舞台の終演をも同時に予兆している。

 世界の均衡点であり、未来の可能性それ自体でありながら、小銃は他方、単なる物質として、各々の目の前に放り出されている。そうした事物の諸関係の均衡を保つものが、主に一つの点によって集約されていること、このことはオブジェクトとメタが接触する点があるということ、つまり遠近法におけるパースペクティブを規定する消失点のようなものと、やはり関連している。しかしその遠近法の消失点と違うのは、舞台の上における小銃は、それを支えている均衡点であるとともに消失点でもある、つまり、それはその舞台の上のドラマツルギーを維持する役割を持ちながら、同時にそれを常に崩壊させる可能性を秘めている。

 このことは、絵画におけるオブジェクトとメタ、舞台におけるオブジェクトとメタが全く別のものであることによる。絵画におけるオブジェクトは二次元の制約を持ったタブローに三次元的な奥行きを持たせるために、メタとして消失点が導入される。いわば存在しないものを、存在するようにみせかけるために、消失点が導入されている。他方、舞台におけるオブジェクトとメタの関係はそれとは全く逆である。舞台におけるオブジェクトはその舞台の終演である演者の死をもたらす小銃によって、逆説的にその舞台の上のドラマツルギーを構成している。いわば存在するものを、存在しないようにさせるために、オブジェクトに対し小銃の持っている死の可能性が、メタとして設定される。このことから、小銃が遠近法における消失点のような役割を持ちながら、同時にその関係が突発的に裏返りうることも同時に含意している。

 こうしたことから、絵画のパースペクティブを規定するミッシング・ポイントは、ドラマツルギーを支配する機能を持った小道具=小銃に例えられるのではないか。おおざっぱな発想だが、そのことはよい。しかし、ただひとつだけ奇妙なことある。小銃ははじめからそこにあったのではなく、必ず誰かがそこに持ってきたものである。映画でいえば、その小銃がそこにあることの必然性を示すカットなり、シークエンスなりが挿入されなければ、突然現れた小銃の存在は、いかにも不自然なものに映じよう。にもかかわらず、である。小銃は、それがやってきた来歴によってではなく、それが持っている本来の目的(コギト-遠近法の例でいえば事物をオブジェクトとメタに分割して均衡させる点)によって、その来歴をむしろ塗り変えているようにさえみえる。その時間軸の反転こそが奇妙で、かつ不可解なのだ。それでは小銃が生殺与奪をもたらすものであることが、あたかもそこに小銃がやってきたことの必然性をも同時に証立てるかのようだ。
 ところで、その小銃自体の来歴は、そもそもその舞台の上にあるシークェンスによってですらなく、その小銃を製造した職人・工場・発案した技術者、その技術者たちの市場を維持している資本家や国家、最小の手続きで人を殺すことが常態化し、そうした状況を促してきた、その歴史的理念、概念のほうにある、といえそうなものだが、しかしそうした本来の小銃の来歴は、舞台上で言挙げされることもない。あくまでも、小銃があるか、ないかの事実だけが唯一舞台上のドラマツルギーでは確認されるのみだ。小銃は、ドラマツルギーの均衡点であるが、一度舞台上にそれが登場すれば、それがドラマツルギーの均衡点であると同時に、消失点でもあるものとして機能する。映画の編集作業のように、物事の意味連関を逆回しの形で機能させる、
 いわば、小銃は何者かを人工的に超越的な視点の位置に置く権能を持っている。しかも、その背後にある本来の来歴の束を誰も意識することはない。関心はすでに、小銃のほうではなく、むしろ自らと他者の生存の可能性のほうに移っているからである。